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アレクサンダー・リッター : ミニ英和和英辞書
アレクサンダー・リッター[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アレクサンダー・リッター : ウィキペディア日本語版
アレクサンダー・リッター[ちょうおん]

アレクサンダー・(ザッシャ・)リッターAlexander (Sascha) Ritter 1833年6月27日 - 1896年4月12日)は、ドイツヴァイオリニスト指揮者作曲家
== 生涯 ==
リッターはロシア(現エストニア)のナルヴァに生まれた。ドイツ人の商人であった父の死後、子どもたちは母のユリーに連れられてドレスデンへと移り、10歳になるリッターはここでワーグナーオペラリエンツィ』と『さまよえるオランダ人』を作曲者自身の指揮で聴く機会に恵まれている。個人的にもワーグナーと面識を得たリッターはその後生涯にわたってワーグナーを信奉し続けた。1849年にはライプツィヒに移り、フェルディナンド・ダヴィッドの下でヴァイオリンの修業を終えた。1844年のドレスデンにおいて知り合ったリストから、1854年ヴァイマルの宮廷管弦楽団のヴァイオリニストの職を与えられたリッターは、その地でペーター・コルネリウスヨアヒム・ラフらも所属するサークルに加盟した。同年には尊敬するワーグナーの姪で女優のフランツィスカ・ワーグナーと結婚している〔2人の間に生まれた娘のヘルタは、1902年オーストリアの作曲家ジークムント・フォン・ハウゼッガーと結婚した。〕。その後1856年シュチェチン1863年ヴュルツブルク1872年ケムニッツと各地でヴァイオリニスト、指揮者を務めるが、目立った活躍はできなかった。1882年ハンス・フォン・ビューロー率いるマイニンゲン宮廷楽団コンサートマスターに就任したリッターはそこで若きリヒャルト・シュトラウスに出会い、数年にわたってこの若者を大いに励ました〔シュトラウスは回顧録の中で、このことが「その後の私の発展を決定づけた」と記している。〕。続いて1886年ミュンヘンに移ったリッターは、作曲および新ドイツ楽派を志向する後進の指導に専念するようになった。リッターはシュトラウスの交響詩死と変容』について楽曲の内容を詩に書き表し、この詩は後に楽譜に掲げられた。また、シュトラウスのオペラ処女作となった『グントラム』の題材を与えたのものリッターであった。他にもルートヴィヒ・トゥイレのオペラ『''Theuerdank''』にリブレットを執筆している。リッターはミュンヘンに没した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アレクサンダー・リッター」の詳細全文を読む




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