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アレクサンドル・グチコフ : ウィキペディア日本語版 | アレクサンドル・グチコフ
アレクサンドル・イワノヴィッチ・グチコフ(Alexander Ivanovich Guchkov, 1862年10月14日 - 1936年2月14日)は、帝政ロシアの政治家。ニコライ2世の時代に国会(ドゥーマ)議長を務めた。ロマノフ朝が倒れ、リヴォフ公を首班とする臨時政府が樹立されると、軍事大臣兼海軍大臣に就任した。 ==グチコフ家による原初的資本蓄積== グチコフは、この時代のロシアの保守政治家としては珍しく、貴族階級出身では無かった。 曽祖父のフョードル・アレクセーエビチ・グチコフは古儀式派無僧派の一派であるフェドセーエフ派農民だったが、モスクワの紡績工場で働き資本を蓄積し、自らと家族の自由を買い取ることに成功し商人となった。古儀式派の信仰のゆえにペトロザボーツクへ流刑されその地で死亡した。 祖父のエフィーム・フョードロビチはモスクワのフェドセーエフ派のプレオブラジェンスキー共同体の指導者だった。共同体に設立されていた孤児院から労働者を受け入れ事業は拡大した。1848年にはフェドセーエフ派はツァーリのための祈祷を受け入れた。1853年、その兄弟のイワン、そして自らの子どもたちとともに共同体を離脱し主流派ロシア正教会の管轄に属するエディノヴェーリエに改宗した。権力側から相続の問題等で脅迫されたことが原因である。
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