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アレクサンドル・シェレーピン : ミニ英和和英辞書
アレクサンドル・シェレーピン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アレクサンドル・シェレーピン : ウィキペディア日本語版
アレクサンドル・シェレーピン[ちょうおん]

アレクサンドル・ニコラエヴィチ・シェレーピン(, Alexandr(Alexander) Nikolayevich Shelepin、1918年8月18日 - 1994年10月24日)は、ソ連共産党の活動家、第2代ソ連国家保安委員会(KGB)議長。
== 人物 ==
ヴォロネジ出身。鉄道員の息子。モスクワ歴史・哲学・文学大学中退。中隊政治委員として、冬戦争に従軍。1940年、全連邦共産党(ボリシェヴィキ党)に入党。1940年から、全連邦レーニン共産青年同盟(コムソモール)モスクワ市委員会の教官、課主任、軍事・体育業務担当書記。独ソ戦時、パルチザン部隊へのコムソモールの派遣に従事。1943年からコムソモール書記。
1952年~1958年、コムソモール中央委員会第一書記。1952年からソ連共産党中央委員会委員。ヨシフ・スターリンの死後、ニキータ・フルシチョフの庇護を得、1957年、G.マレンコフV.モロトフL.カガノーヴィチ等がフルシチョフを解任しようと試みた際、彼を助け彼らの追放に功績があった。以後、党・国家の要職を歴任する。1954年~1979年、ソ連最高会議代議員。
* 1958年4月~12月 - ソ連共産党中央委員会党機関課主任
* 1958年12月~1961年11月 - KGB議長
* 1961年10月~1966年9月 - ソ連共産党中央委員会書記(人事担当)
* 1962年11月~1965年12月 - ソ連共産党中央委員会・ソ連閣僚会議党・国家監督委員会議長
* 1962年11月~1965年12月 - ソ連閣僚会議副議長
コムソモール出身者を党の多くの重要ポストに送り込み、「鉄のシュリク」(')という渾名(あだな)を得た。フルシチョフを解任し、レオニード・ブレジネフの就任を組織した1人。1964年から、ソ連共産党中央委員会幹部会(政治局)員。一番の若手であった。一時はブレジネフの後継者とも目されたが、コムソモール出身者が大使として国外に送られるなか、1966年、全連邦労働組合中央評議会議長に左遷。1975年、労働組合代表団団長としてイギリスを訪問したが、イギリスの新聞が「元KGB議長がどうして労働運動を組織できるのか」と騒ぎ出し、大規模な抗議デモに会い、予定を切り上げて帰国する羽目になった。これはシェレーピンを追い落とす口実となり、国家職業技術教育委員会議長代理(副議長)に左遷された。同年、政治局から追い出された。1976年、ソ連共産党中央委員会からも追われた。1984年、年金生活に入る。


)という渾名(あだな)を得た。フルシチョフを解任し、レオニード・ブレジネフの就任を組織した1人。1964年から、ソ連共産党中央委員会幹部会(政治局)員。一番の若手であった。一時はブレジネフの後継者とも目されたが、コムソモール出身者が大使として国外に送られるなか、1966年、全連邦労働組合中央評議会議長に左遷。1975年、労働組合代表団団長としてイギリスを訪問したが、イギリスの新聞が「元KGB議長がどうして労働運動を組織できるのか」と騒ぎ出し、大規模な抗議デモに会い、予定を切り上げて帰国する羽目になった。これはシェレーピンを追い落とす口実となり、国家職業技術教育委員会議長代理(副議長)に左遷された。同年、政治局から追い出された。1976年、ソ連共産党中央委員会からも追われた。1984年、年金生活に入る。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アレクサンドル・シェレーピン」の詳細全文を読む




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