翻訳と辞書
Words near each other
・ アレクサンドル・フェルスマン
・ アレクサンドル・フォン・ファルケンハウゼン
・ アレクサンドル・フォーク
・ アレクサンドル・フリードマン
・ アレクサンドル・フレブ
・ アレクサンドル・フロポーニン
・ アレクサンドル・ブツコ
・ アレクサンドル・ブティコ
・ アレクサンドル・ブトレロフ
・ アレクサンドル・ブハロフ
アレクサンドル・ブライロフスキー
・ アレクサンドル・ブルイギン
・ アレクサンドル・ブロク
・ アレクサンドル・ブロツキー
・ アレクサンドル・ブロンニャール
・ アレクサンドル・ブローク
・ アレクサンドル・ブロークの詩による7つの歌曲
・ アレクサンドル・ブートレロフ
・ アレクサンドル・ブーロフ
・ アレクサンドル・プトゥシコ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アレクサンドル・ブライロフスキー : ミニ英和和英辞書
アレクサンドル・ブライロフスキー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アレクサンドル・ブライロフスキー ( リダイレクト:アレクサンダー・ブライロフスキー ) : ウィキペディア日本語版
アレクサンダー・ブライロフスキー[ちょうおん]

アレグザンダー・ブライロフスキーAlexander Brailowsky, 1896年2月16日 キエフ - 1976年4月25日 ニューヨーク)はウクライナ出身のピアニストで、ショパン弾きとして有名だった。
キエフ音楽院の学生だった頃に早くもラフマニノフに見出されたのち、ウィーンに留学してテオドル・レシェティツキの門下となる。1919年パリにデビューし、1926年フランス国籍を取得するも、最終的には米国帰化した。ショパンの作品でもとりわけワルツが十八番であった。
ブライロフスキーの演奏様式はサロン音楽の伝統を汲み、大音量で聴衆を圧倒するより、透明な音色と洒落た味わい、個性的な解釈によって聴衆に親密に語りかけるものだった。このような特徴のため、第二次世界大戦後に渡米するも、すでに米国で活躍していた他のピアニストと違って苦労を強いられ、戦前のヨーロッパにおいて得られたような名声を勝ち得ることはできなかったという。
恩人ラフマニノフの《協奏曲 第2番》も録音している。
==外部リンク==

*ピアニスト中川和義のCD、ヴィデオ情報




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アレクサンダー・ブライロフスキー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.