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アレクサンドル・グリゴリエヴィッチ・ルカシェンコ( 、、Aleksandr Grigor'evich Lukashenko、1954年8月30日 - )は、ベラルーシの政治家で大統領(1994年 - )。また、ベラルーシ・ロシア連合国家の初代最高国家評議会議長(2000年 - )でもある。欧米からは「ヨーロッパ最後の独裁者」と呼ばれる〔Rausing, Sigrid (7 October 2012). "Belarus: inside Europe's last dictatorship". The Guardian (London). Retrieved 7 August 2014.〕〔 "Belarus's Lukashenko: "Better a dictator than gay"". Berlin. Reuters. 4 March 2012. "...German Foreign Minister's branding him 'Europe's last dictator'"〕。 1994年にロシア連邦との関係強化を掲げ初当選し、1996年には任期を延長、2001年に再選、2004年には憲法の3選禁止条項を撤廃し2006年に3選、2010年に4選、更に2015年に5選を果たした。なお、1999年12月8日にロシア連邦とベラルーシとの間で調印されたベラルーシ・ロシア連合国家創設条約の発効に伴い、翌2000年1月に「連合国家」の初代「最高国家評議会議長(国家元首)」に就任した。名の日本語表記は、「ルカシェンコ」が一般的だが、専門家がベラルーシ語からの表記である「ルカシェンカ」と書く場合もある〔廣瀬陽子「旧ソ連諸国の権力維持の構造 」 2010年9月7日 SYNODOS JOURNAL。〕〔モスクワ方言をベースとする標準ロシア語では強勢のない о は「ア」と発音されるので、ロシア語の Лукашенко も実際には「ルカシェ(-)ンカ」と読む。(参照 )〕。昨今ではロシアとウクライナ・欧米との間で対立が深まっており、ベラルーシはその調停役を担うことも多いが、ルカシェンコ自身は民族的にはウクライナ人である。彼のウクライナ語読みでの名前は「オレクサンドル」(ウクライナ語:Алекса́ндр Григо́рович Лукаше́нко オレクサンドル・フルィホーロヴィチ・ルカシェンコ)である。 Алекса́ндр Григо́рович Лукаше́нко オレクサンドル・フルィホーロヴィチ・ルカシェンコ)である。 == 来歴 == 1954年8月30日当時のソビエト連邦白ロシア共和国のヴィテブスク州オルシャンスク地区コピィシ(コプイシ)村で生まれたとされるが、生い立ちには不明な点もある。両親はルカシェンコが1歳の時に離婚している。 1975年モギリョフ教育大学歴史学部を卒業。通信教育で農業アカデミー経済学部を卒業。1990年ソフホーズの支配人から、白ロシア共和国最高会議代議員選挙に立候補し当選する。独立後、ベラルーシは国内が混乱し政府も腐敗していた。そんな中、ルカシェンコは1993年汚職追及委員会議長に就任し、政治家達の汚職を糾弾し、有権者の支持を獲得する。 1994年ベラルーシ大統領選挙に立候補。大衆迎合的な選挙公約を掲げ、他の候補に圧勝、初代大統領に就任する。 2004年9月7日、ルカシェンコは、大統領の多選を禁じる憲法改正を可能とする国民投票の実施を発表。翌月・10月17日の国民投票の結果、8割弱の賛成で3選への道を開く。これを受け2005年、アメリカ合衆国大統領に再選を果たしたばかりのジョージ・ブッシュは、打倒すべき独裁国家のひとつとしてベラルーシを挙げた。ブッシュはまた、ベラルーシを「最悪の独裁国家」と批判している。2006年3月19日に行われた任期満了に伴う大統領選挙では、得票率82.6%(公式発表 )で圧勝し3選を果たしたが、この選挙に関しては得票率改竄の疑惑や、野党候補及びその支持者への妨害などの不正が行われていたとの証言〔服部倫卓「2006年ベラルーシ大統領選特報 」 服部倫卓のロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪、2006年3月20日。〕が存在する。 2010年12月19日投開票の大統領選挙で4選を果たしたが(得票率79.7%)、やはり不正選挙であるという指摘がなされている。 ルカシェンコの四選直後からベラルーシ経済は未曾有の危機に陥り、ロシアによるインフラを担う国営企業などが掌握される可能性が出てきており、ベラルーシが事実上ロシアに吸収合併(乗っ取りとも言える)される可能性も現実味を帯びている。2011年5月27日、ルカシェンコは政府関係者を集めた会議の席上、「ギャングども(ロシアのこと)に我々の国を売り払いなどしない!」などと述べ、感情を露にした。 ロシアはかねてからベラルーシの吸収合併を狙っていた。 「国を売らない」と公言していたルカシェンコであったが、ベラルーシ国内の反政府運動の激化と、ロシアとの対立で国家財政の重要な収入源である天然ガスの国内通過料が得られなくなる可能性が出てきたため、2011年12月にロシア主導の「ユーラシア連合」構想への参加を表明。それと引き換えに天然ガスをロシアがベラルーシに「統合割引価格」で提供、そして、ロシアがベラルーシ国内のガスパイプラインを買い取るという協定を結んだ。これにより、ベラルーシ経済はロシアに掌握された格好となった。 2014年に表面化したロシアとウクライナの紛争では、両国の間に入って調停役に回っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アレクサンドル・ルカシェンコ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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