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アレクサンドル・ロマノヴィッチ・ルリヤ(、1902年7月16日 - 1977年8月14日)は、ソビエト連邦の心理学者。 姓はルリアとも書かれる。 レフ・ヴィゴツキーらとともに文化歴史心理学を創設したほか、神経心理学の草分けとなった。 失語症や共感覚に対する詳細で個別的な臨床観察・症例研究を通じ、高次の精神機能に関する独創的な著作を残した。 == 略歴 == 帝政ロシア時代のカザンでユダヤ系の両親の元に生まれた。 父親は消化器系を専門とする医師であった〔Luria (1979) p.18.〕。 8年制ギムナジウムを6年で修了し、1918年にカザン大学へと入学した。 ロシア革命直後の大学は混乱期にあり、すべての希望者に門戸が開かれた一方で十分な教育を行える状況にはなかったため、大学では自ずと学生主導の活動が支配的となった〔Luria (1979) pp.19–20.〕。 ルリヤはこうした社会の変革を目の当たりにする中で、社会を形作る人間心理の役割りに深く関心を持つようになった。 ヴントに始まる内観的で還元的な志向を持つ心理学が人間のリアリティを捨象してしまうことに飽き足らず、ディルタイに共感する一方で、ヴィンデルバントが法則定立的と個性記述的 (nomothetic and idiographic) なアプローチとして区別したこれら両者の対立を乗り越えた心理学が必要だと考えるようになった〔Luria (1979) pp.21–23.〕。 1921年に大学の社会科学部を卒業し、1923年クルプスカヤ名称共産主義教育アカデミーで研究開始。1925年よりモスクワ大学心理学研究所でコンスタンチン・コルニーロフ の助手、後には一般心理学研究室の主任となった。 1920年代ルリヤは、この研究所でレフ・ヴィゴツキーおよびアレクセイ・レオンチェフとともに文化的および歴史的視点から精神発達を論ずる文化歴史心理学 (cultural-historical psychology) を創始した。1928年、『激情的反応の研究における随伴運動の方法』を発表。1930年、『行動の歴史に関する試論』をヴィゴツキーと共著。 ソ連国内に粛清の嵐が吹き荒れた1930年代には、思想上の理由から大学での心理学の教員の地位をあきらめ、モスクワ第一医科大学 (First Moscow Institute of Medicine) へと入学して、1937年に教育学の、1943年に医学の博士号を取得した。 第二次世界大戦中は脳障害のリハビリテーションを専門として軍医を務めた。 1944年よりモスクワの脳外科研究施設に勤め、脳損傷などから得られる医学的知見と心理学とを融合した学問分野神経心理学 (neuropsychology) を創始した。1947年に『外傷性失語症』を発表〔アレクセイ・A・レオンチェフ著『ヴィゴツキーの生涯』菅田洋一郎監訳、広瀬信雄訳、新読書社、2003年〕。しかし政治的圧力、とりわけ反パブロフ主義であるとされたことによって、ここも辞めざるをえなくなり、1953年のスターリンの死後、ソ連の政治状況が緩和された後になってモスクワ大学教授として学者としての活動を再開した。 その後1977年の死まで、心理学的症候群としての分析法を探求した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アレクサンドル・ルリヤ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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