翻訳と辞書 |
アレクセイ・ナワルニー : ウィキペディア日本語版 | アレクセイ・ナワルニー[ちょうおん]
アレクセイ・アナトーリエヴィチ・ナワルニー(、ラテン文字表記の例:、1976年6月4日 - )は、ロシアの弁護士、政治活動家。ロシア語読みではアレクセイ・アナトーリエヴィチ・ナヴァーリヌイで、日本の新聞ではアレクセイ・ナバリヌイと表記される。2009年以降、ロシア政府の汚職問題の追及やウラジーミル・プーチンへの批判などからロシア国内のメディアで注目を集めた。LiveJournal上にブログを開設して情報を発信し、大規模なデモへの参加を呼び掛ける一方で、フォーブス・ロシア誌などに定期的な寄稿も行っている。2011年6月のロイターのインタビューでは「プーチンの政治システムは汚職によって非常に弱体化しており、ロシアでも5年以内に『アラブの春』のような反政府デモ・抗議活動が起こり得る」と述べている〔Guy Faulconbridge, Reuters, June 1, 2011〕。 ロシアの経済新聞「ヴェドモスチ()」紙が毎年選ぶ「今年の人」で、2009年の「今年の人」に選ばれている。また、英BBCは2011年、ナヴァーリヌイを「過去5年の間ロシアに現れた反体制派の人物で、(ナヴァーリヌイは)唯一重要な人物であると言えるだろう」と評した。2012年、ウォール・ストリート・ジャーナル誌はナヴァーリヌイを「ウラジーミル・プーチンが最も恐れる男」と紹介し、米タイム誌が選ぶ2012年版「世界で最も影響力のある100人」には、ロシア人では只一人ナヴァーリヌイが選ばれた。 2014年に「反汚職・リベラル・親欧米」などを掲げる「進歩党」(ロシア語:Партия Прогресса)を結党し、党首を務める。この党はロシア当局から政党としての認可を受けており、政党法にのっとり、合法的に組織を整備している。 == 生い立ち == 1976年10月、モスクワ市西部のオディンツォフスキー地区(Одинцовский район)にあるブトィン(Бутынь)という村に生まれた。父アナトーリー・ナヴァーリヌイはウクライナのキエフ州イヴァンキフ地区にあるザリッシヤ(Залісся)村の出身であり、ナヴァーリヌイはロシア・ウクライナ双方に出自をもつ〔 , Den (14 February 2012)〕。子供の頃はモスクワの南西約100kmにあるカルーガ州オブニンスクで育てられたが、夏の間はウクライナの祖母のもとで過ごした〔。1998年にロシア諸民族友好大学を卒業し法学の学位を取得した後、ロシア連邦政府付属財政大学(Финуниверситет)で証券取引・為替などを学んだ〔Guy Faulconbridge, Reuters, December 11, 2011〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アレクセイ・ナワルニー」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|