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アレハンドロ・ベリオ : ミニ英和和英辞書
アレハンドロ・ベリオ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アレハンドロ・ベリオ : ウィキペディア日本語版
アレハンドロ・ベリオ

アレハンドロ・ベリオAlejandro Berrio1976年8月7日 - )は、コロンビアプロボクサーカルタヘナ出身。第13代IBF世界スーパーミドル級王者。敗戦はすべてKO負けもしくはストップ負けで防御に脆さもあり逆転されたこともある。一方攻撃面ではカウンターの使い方が巧みな選手で一発のカウンターかフックで試合の形勢をひっくり返して逆転勝利を手にしたことがある。
==来歴==

1997年2月28日、プロデビューを果たし初回KO勝ち。
1998年11月6日、ジャイロ・ヘスス・シリスと対戦し初黒星となる5回KO負け。
2000年8月26日、ジミー・サラスと対戦し初回KO勝ち。
2001年1月13日、テオドシオ・ヒメネスとFECARBOX中米ミドル級王座決定戦を行い2回TKO勝ちで王座獲得に成功した。
2001年7月27日、オドリン・ベロと対戦し11回KO勝ちで初防衛に成功した。
2002年8月9日、WBOラテンアメリカミドル級王者ジャビエル・カスティーヨと対戦し10回TKO勝ちで王座獲得に成功した。
2002年11月30日、ロスマン・ヘンリーと対戦し初回KO勝ちで2度目の防衛に成功した。
2003年3月29日、エリック・ミッチェルと対戦し初回TKO負け。
2004年11月20日、 IBOインターコンチネンタルライトヘビー級王者カール・ハンディーと対戦し8回セコンドによる棄権で王座獲得に成功した。
2005年12月3日、IBF世界スーパーミドル級王者ジェフ・レイシーへの挑戦権をかけてロベルト・ステイグリッツと対戦。しかし11回35秒TKO負けでレイシーへの挑戦権獲得に失敗した。
2006年5月19日、ユサフ・マックとジョー・カルザゲへの指名挑戦権を賭けて対戦し6回2分31秒TKO勝ちでカルザゲへの挑戦権を獲得した。
2007年3月3日、ロベルト・ステイグリッツと2度目の対戦となるIBF世界スーパーミドル級王座決定戦を行い3回に2度ダウンを奪いレフェリーがストップ。3回2分40秒TKO勝ちでステイグリッツにリベンジを果たして王座獲得に成功した。
2007年10月19日、モントリオールベル・センタールシアン・ブーテと対戦し11回1分27秒TKO負けで初防衛に失敗し王座から陥落した。
2008年7月3日、エリアス・ルイスと対戦し3回TKO勝ち。
2009年10月19日、ファン・フランシスコ・レイエスと対戦し初回TKO勝ち。
2010年9月3日、フェリックス・ホセ・エルナンデスと対戦し10回3-0(2者が100-90、99-91)の判定勝ち。
2011年2月26日、アントウン・エチョルスと対戦し3回1分4秒TKO勝ち。
2012年7月19日、フルゲンシオ・スニガと対戦したが3回と7回にダウンを奪うが、7回にダウンを奪った後に痛烈な逆襲を受け7回57秒大逆転KO負け。
2013年11月1日、フルゲンシオ・スニガと再戦し10回3-0(97-93、99-94、99-93)の判定勝ち。
2014年9月26日、WBFインターコンチネンタルクルーザー級王者ダミール・ベルホと対戦し5回開始5秒右手を骨折したため王座獲得に失敗した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アレハンドロ・ベリオ」の詳細全文を読む




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