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アレフティナ・コルチナ : ミニ英和和英辞書
アレフティナ・コルチナ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アレフティナ・コルチナ : ウィキペディア日本語版
アレフティナ・コルチナ




アレフティナ・コルチナ(Alevtina Pavlovna Kolchina、、1930年3月11日 - )はソビエト連邦ペルミ地方パヴロフスク村出身の元クロスカントリースキー選手。1950年代から1960年代にかけて活躍した。1954年に同じく元クロスカントリースキーオリンピック代表選手のパヴェル・コルチンと結婚し、息子のフョードル・コルチンノルディック複合でオリンピックに出場した。
== プロフィール ==
1956年のコルティナダンペッツォオリンピックでオリンピック初出場、10km4位、リレーでは銀メダルを獲得した。翌1957年に息子フョードルを出産、
次のシーズンには競技に復帰、1958年ノルディックスキー世界選手権フィンランドラハティ)では10kmとリレーで金メダルを獲得した。
1960年スコーバレーオリンピックでは10kmで4位とメダルに一歩及ばなかった。
1962年ノルディックスキー世界選手権ポーランドザコパネ)では個人5km、10 km、リレーの3冠に輝き、1964年インスブルックオリンピックではリレーで金メダル、個人5kmで銅メダル、35歳で出場した1966年ノルディックスキー世界選手権ノルウェーオスロ)でも金メダル2個、銀メダル1個を獲得、更に1968年のグルノーブルオリンピックでも銅メダル2個を獲得した。
ホルメンコーレンスキー大会では10kmで1961年-1963年まで3連覇、5kmでは1966年に優勝、1963年には夫のパヴェル・コルチンアストリド・サンビーク
トールビョルン・イゲセットとともにホルメンコーレン・メダルを受章した。ソビエト連邦選手権では計13個のタイトルを獲得。
現役引退後は1973年にエストニアのOtepää に移り住み、クロスカントリースキーのコーチとして後進を指導した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アレフティナ・コルチナ」の詳細全文を読む




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