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アロイス・ブルンナー(Alois Brunner、1912年4月8日 - 2010年?)は、ドイツのナチス親衛隊隊員。最終階級は親衛隊大尉。アドルフ・アイヒマンの副官だった人物で、アイヒマンとともにユダヤ人の大量移送に責任を負うが、ドイツの敗戦後シリアへ逃亡した。シリア政府は各国のブルンナー引き渡し要求に応じなかった。ドイツ戦犯の中では最大の大物と言われている人物である。 == 生い立ちと戦中の戦争犯罪について == オーストリア・ハンガリー帝国(ハンガリー王国)のナディクート(現在のブルゲンラント州)出身。19歳の時にでオーストリア・ナチ党に入党。ブルンナーは周囲にグラーツ警察学校の出身であることを自慢していたが、そこにいたのは1932年10月から1933年1月の間のわずか3か月間だった。はじめ突撃隊(SA)隊員だったが、1938年のオーストリア併合を機にウィーンに移り、親衛隊(SS)に入隊した。 1939年にはウィーンにあったアドルフ・アイヒマンの「ユダヤ人移送局」に配属され、アイヒマンの副官としてオーストリアのユダヤ人をポーランドにあるゲットーあるいは強制収容所・絶滅収容所へと移送する作業に従事した。1943年2月までにオーストリアのユダヤ人4万7000人を移送させた。これらの「功績」でブルンナーは一気に昇進し、1940年4月20日、総統誕生日を機に親衛隊少尉、同年11月9日に親衛隊中尉、1942年1月30日の政権奪取記念日に親衛隊大尉へと昇進している。 1943年2月からギリシャのテッサロニキへ赴任。ブルンナーは同地のユダヤ人有力者25人を人質にとり、命令に従わぬ場合彼らを射殺するとユダヤ人社会を脅迫。テッサロニキとマケドニアにいる5万8000人のユダヤ人のうち4万4000人を移送させた。1943年6月からはパリに派遣され、ここでもユダヤ人2万7000人ほどを移送する。その後スロバキアに派遣され、1万4000人のユダヤ人を移送。続いてハンガリーへ派遣され、1万2000人を移送している。 戦時中のブルンナーは一貫してユダヤ人移送に従事し、戦場へ出されることは一度もなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アロイス・ブルンナー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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