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アロイス・リップブルガー : ミニ英和和英辞書
アロイス・リップブルガー[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ブル : [ぶる]
 【名詞】 1. bull 2. (n) bull
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アロイス・リップブルガー : ウィキペディア日本語版
アロイス・リップブルガー[ちょうおん]


アロイス・リップブルガー(Alois Lipburger、1956年8月27日 - 2001年2月4日)はオーストリアフォアアールベルク州Andelsbuch出身の元スキージャンプ選手、指導者。

== プロフィール ==
バルダー・プライムルコーチの門下生として指導を受け、オーストリアジャンプチームの黄金時代を担ったうちの一人である。
現役時代は1975年に来日し宮様スキー大会少年の部で70m級、90m級とも優勝、翌1976年の札幌五輪記念STV杯で2連勝、1977年のHBCカップジャンプ競技会でも優勝するなど日本との縁も深かった。
1978年のノルディックスキー世界選手権で個人銀メダルを獲得、1979/80シーズンから始まったスキージャンプ・ワールドカップでは通算2勝している。この2勝はアメリカアイアンウッドのフライングで2連勝したものである。
リップブルガーはインスブルック大学でスポーツ指導理論と哲学を専攻し、卒業後はStamsスキー学校の教員兼コーチとして赴任した。
その後ドイツ、のノルディック複合ナショナルチームやフランスのジャンプナショナルチームを指導、1999年からはオーストリアジャンプナショナルチームのヘッドコーチに就任した。
2001年2月4日ヴィリンゲンドイツ)のワールドカップから帰国する際、マルティン・ヘルバルトが自動車事故を起こし、同乗していたリップブルガーが亡くなった。ヘルバルトと同乗していたアンドレアス・ビドヘルツルは軽傷で助かった。
現在Stamsでは''アロイス・リップブルガー記念ジャンプ大会''が毎年開催されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アロイス・リップブルガー」の詳細全文を読む




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