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アロイーズ・コルバス(Aloïse Corbaz, 1886年6月28日 - 1964年4月6日)は、40年以上スイスの精神病院に入院をしながら、独自の絵画を描き続けてきたアウトサイダー・アーティスト。 == 生涯 == アロイーズ・コルバスは1886年、スイスのローザンヌに生まれた。父は郵便局の職員で、母も農業の仕事をしていた。アロイーズが11歳の時に過労が原因で母は死亡し、その後は長姉マルグリットが母代わりとなって家事を行うようになった。マルグリットは嫉妬深く過干渉であり、アロイーズのその後の人生にも大きな影響を与えることになる〔フォレル「アロイーズの人生と作品」(2009)p.38〕。 アロイーズの家族は皆、音楽を学び、合唱隊に所属していた。特にアロイーズは美しい声をしており、オペラ歌手になることを夢見ていた。歌手になる夢は叶えられることはなかったが、音楽を愛好していたことは、後にアロイーズが描く絵画に、オペラから採られた題材をしばしば用いることの伏線となった〔フォレル「アロイーズの人生と作品」(2009)p.38、ペリー(2008)p.36〕。 中等教育を受け、バカロレアを取得した後、さらに裁縫の専門学校へ進んだ。そして専門学校卒業後、洋裁の仕事に従事するようになった。1911年、アロイーズは近くに住むフランス人の還俗司祭との恋に落ち、毎晩彼の家に会いに行くようになるが、嫉妬深いマルグリットが二人の仲を引き裂き、アロイーズをドイツへ家庭教師の仕事をさせるべく追いやった〔フォレル「アロイーズの人生と作品」(2009)p.38〕。 ライプツィヒのとある家庭で働いた後、アロイーズはポツダムのヴィルヘルム2世の宮廷で働くことになった。約1年半の間、ドイツ皇帝の宮廷で働いたアロイーズは、現在、世界遺産としても知られるサンスーシ宮殿を日常的に歩き、また様々なドイツ文化を吸収することになった。しかし彼女に最も影響を与えたのは皇帝ヴィルヘルム2世その人であった。アロイーズは皇帝に激しい恋心を抱くようになったものの、皇帝は彼女の存在に気づくことはなかった〔フォレル「アロイーズの人生と作品」(2009)p.38〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アロイーズ・コルバス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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