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アロウズ・A19は、アロウズが1998年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、ジョン・バーナードが設計した。チーム2年目のペドロ・ディニスと、ジョーダンに移籍したデイモン・ヒルに代わってティレルから移籍してきたミカ・サロがドライブした。 ==開発の経緯== トップチームを渡り歩いてきたバーナードが、中堅チームのアロウズで手掛けたマシン。設計作業はバーナードやマイク・コフランが在籍するB3テクノロジーズで行われた。元々、この施設は母国イギリスでの仕事を好む彼が、フェラーリ在籍時に開設したデザインスタジオ (FDD) だった。しかし、アロウズとの関係は短期間で終わり、バーナードはプロストの技術コンサルタントに就任した。 バーナードはコークボトルラインを始めとして、個性的なサイドポンツーンのアイデアを発表してきたが、A19ではポンツーン後部側面を切り落としてラジエーターの廃熱ダクトを開口した。ほかには、カーボン (CFRP) 製のギアボックスケーシングが特徴である。カラーリングは前年のA18の青×白から黒一色に様変わりした。 エンジンはヤマハとの2年契約を解消し、トム・ウォーキンショーがハートエンジンを買収し、「アロウズエンジン」に改称して搭載した。アロウズは1977年のBRM以来の自製エンジンを搭載したイギリスチームとなった。しかしながらハートの予算は他の主要コンストラクターに比べると十分ではなく、車の開発は思うように進まなかった。 A19はシーズンを通して信頼性が低く、出走レースのほとんどがリタイアに終わった。しかしながら、モナコGPではサロが4位、ディニスが6位と2台とも入賞を果たす。エンジン出力がそれほど重要で無いサーキットでは競争力を発揮し、シャシーの素性の良さを証明した。その後もリタイアは多く、ディニスがベルギーGPで5位に入ったのみであった。 結局チームの獲得ポイントは6となり、コンストラクターズランキング7位でシーズンを終えた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アロウズ・A19」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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