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アワパラゴン (''Our Paragon'') とは日本の競走馬である。1997年に阪神障害ステークス、東京障害特別、京都大障害に優勝するなど障害競走で活躍した。 1993年10月に平地競走でデビューし、2戦目で初勝利。その後も芝長距離を中心に善戦を続け計5勝。そして7歳となった1997年2月の甲南ステークスを最後に障害入りする。 障害初戦となった同年4月の障害未勝利で先行から抜け出して勝利すると、続く2戦は大差の逃げ切りで3連勝。そして重賞初挑戦となった阪神障害ステークス(秋)では出走馬の大半が2勝以下という手薄なメンバーだったこともあり1.2倍の圧倒的な人気に応えて後続に7馬身の差をつけて優勝。続く東京障害特別(秋)も63kgの酷量を背負いながらネーハイジャパン、ケイティタイガーなどの強豪を寄せ付けずに重賞連勝を飾った。しかし、斤量が59kgに戻り楽勝ムードだった京都大障害(秋)では、連戦の疲労があったのかスタートで出遅れ、大障害コースでも再び後退するなど厳しい展開。最後の直線で辛うじてケイティタイガーを差し切って優勝したが、レース後に軽度の骨折が判明し休養に入る。 これまでに東京、中山、京都、阪神の4つの競馬場全ての障害重賞に優勝した馬はなく、アワパラゴンは史上初のグランドスラム達成のために翌1998年は中山大障害を目標に調整が行われ、ステップレースには酷量を嫌って平地重賞の日経賞を選択。果敢に先行したものの直線で失速し最下位に敗れる。なお、このレースでは同じく障害馬ながら参戦したテンジンショウグンが優勝。大波乱となった。 そして迎えた中山大障害(春)では1番人気に推されたものの、一部で囁かれたアワパラゴンの低い飛越への不安が的中し大竹柵で転倒してしまう。その際の負傷により休養に入り、秋に復帰したものの2戦目でレース中に右前種子骨靱帯炎を発症。現役を引退した。 引退後は生まれ故郷の岡田牧場で過ごしていたが、2016年1月25日逝去〔JRA最優秀障害馬アワパラゴンが死亡 - 競馬ブックトピックス、2016年1月31日掲載、2016年2月2日閲覧〕。 == 血統表 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アワパラゴン」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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