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クライミングロープ(''Climbing rope'' )とは、ロープのうちクライミングに使用するものをいう。 以前はザイル(ドイツ語:''Seil'' )と呼ばれることが多かった。 == アンザイレン == 登山者同士がクライミングロープで身体を結ぶことを「アンザイレン」(ドイツ語:''Anseilen'' )という〔『山への挑戦』pp.115-138「山道具は語る(ザイル)」。〕。この時以降、両者は互いに危機を救い、行動と生命をともにする旨誓うことを求められる〔。気のあった者同士、または熟達者同士であれば、例え相手の姿が見えなくても相手がどんな状況でどんな思考をしているのか、理解できる〔。すなわちクライミングロープはただ一本の綱であるに留まらず互いに意思や状況を伝える神経となる〔。 ハイキングやトレッキングといった気楽な場合は別として、日本の山岳でも岩登り、冬季高山、滝の多い沢などでは極めて重要な道具である〔。知識のない人は「一人が滑落した場合もう一人も引きずり落とされるのではないか」と心配するが、この疑念を解消するのが確保技術である〔。補助用具が発達して用法さえ習得すれば比較的容易に確保できるようにはなっているが、登攀技術の中でも難しくよく訓練して習熟する必要がある〔。 氷河は少しずつ動いていて割れ目が至る所にあり、新雪で埋まってしまえば見えるものばかりではないから、氷河上で行動する際は傾斜がない場所でもアンザイレンするのが常識である〔。J・ジムラーは16世紀末にはこの必要性を説いていたが、アルプス黄金時代のガイドは必ずしも氷河の上でロープを使用することを好まず、客である登山家と意見が対立した〔。エドワード・ウィンパーは「一つには他の山案内たちから冷やかされるのを恐れているからである」とつまらぬ見栄のために生命を軽視する愚かさを指摘し「こんなに簡単で、そして効果の大きい、ロープを結び合うという用心を、捨てて顧みないということに対して、私は声を大きくして反省を促したい」と言っている〔。 氷河の上だけでなく、岩稜でもガイドが客とのアンザイレンを拒んだ例はかなりあったようで、J・F・ハーディはフィンシュテラールホルンでシャモニー=モン=ブランの一流ガイドの一人であったオーギュスト・シモンにどう説いてもロープを使わせられなかった〔。また1868年ツェルマットからマッターホルン第二登に際してJ・エリオットは第一級のガイドだったP・クヌーベルを雇ったが、クヌーベルはロープを持っていたにもかかわらずどうしても結ぼうとしなかったという〔。エリオットでは1869年シュレックホルンでもガイドにアンザイレンを拒否されて墜落、死亡することになった〔。 現在アンザイレンは2人一組が原則であり、これが標準的な編成として定着している〔『山への挑戦』pp.19-26「登山という挑戦(銀の時代)」。〕。これを最初に主張したのはアルバート・フレデリック・ママリーであった〔。現在の確保技術では3人でも危険ではないが、登攀の時間が大幅に長くなってしまう〔。しかし当時の保守派登山家であったウィリアム・マシューズ(''William Mathews'' )、L・スティーブンらは「1登山者1案内者の組み合わせでも危険である」と主張したこともあり、C・ウィルスンに至っては、「ザイルの人数は何人であっても構わないが、ふたりというのだけは絶対によくない」と明らかにママリーに反対するために反対した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「クライミングロープ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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