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アンジェリク・ウィジャヤ : ミニ英和和英辞書
アンジェリク・ウィジャヤ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アンジェリク・ウィジャヤ : ウィキペディア日本語版
アンジェリク・ウィジャヤ

アンジェリク・ウィジャヤAngelique Widjaja, 1984年12月12日 - )は、インドネシア・バンドゥン出身の女子プロテニス選手。WTAツアーでシングルス2勝、ダブルス2勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス55位、ダブルス15位。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。中国系の選手で漢字名は黄依林という。
== 来歴 ==
1990年代に世界ランキング19位・1997年ウィンブルドンベスト8などの偉業を残した先輩選手ヤユク・バスキの後を受けて、ウィジャヤが当地の新星として活躍を始める。彼女はジュニア選手時代、多数のトーナメントを制し、4大大会の女子ジュニア部門で2001年ウィンブルドン2002年全仏オープンシングルス、2002年全豪オープンダブルスで優勝した。2001年ウィンブルドン選手権のジュニア女子シングルスでは、決勝でディナラ・サフィナロシア)を 6-4, 0-6, 7-5 で破り、インドネシアのテニス選手として最初のウィンブルドン・タイトルを獲得している。2001年9月末、ウィジャヤはインドネシア・バリ大会でWTAツアー大会にデビューし、この大会でいきなりツアー初優勝を達成した。
2002年5月、ウィジャヤはクロアチア・ボル大会でタチアナ・ガルビンイタリア)とペアを組み、女子ツアーのダブルス初優勝を果たした。ボル大会のダブルスを制した後、2002年全仏オープンで4大大会本戦にデビューし、この年は全仏オープン・ウィンブルドン全米オープンとも2回戦に勝ち進んだ。全米オープンの1回戦で、ウィジャヤはロシアの人気選手アンナ・クルニコワを試合時間44分(スコア:6-3, 6-0)で圧倒し、世界の注目を集めた。クルニコワは2001年全米オープンから4大大会で1回戦敗退が続いていたが、このウィジャヤ戦での大敗で観客のブーイングを浴びた。ウィジャヤ自身は、続く2回戦で敗退している。同年11月にタイパタヤ市開催大会の決勝で趙倫貞韓国)を 6-2, 6-4 で破り、ツアー大会でシングルス2勝目を挙げた。
ウィジャヤは2003年、ダブルスでベネズエラマリア・ベント=カブチと組んで多くの好成績を出した。ウィジャヤとベント=カブチは、2003年ウィンブルドン全米オープンの2大会連続で女子ダブルス・ベスト8に入り、ウィジャヤの故国のトーナメントであるバリ大会のダブルス優勝、WTAツアーのティアIトーナメント(女子テニスツアーで、4大大会に続く高額賞金大会群)の1つであるカナダ・マスターズダブルス準優勝などを記録した。2004年はオリンピックのインドネシア代表選手としてアテネ五輪に出場し、シングルスは2回戦に進んだが、ダブルスは1回戦で敗退した。
彼女は2004年末に左膝の手術を受け、2005年のシーズンを棒に振った。その後、女子ツアー大会ではかつての好調さを取り戻せず、2008年に現役を引退した。女子テニス国別対抗戦・フェドカップのインドネシア代表選手としては、通算29勝6敗(シングルス13勝6敗、ダブルス16戦全勝)の成績を挙げた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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