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アンソニー・W・森(アンソニー・ダブリュー・もり、1976年10月9日 - )は、日本の男性プロレスラー。本名は森 隆行(もり たかゆき)。DRAGON GATE所属。愛媛県松山市出身。愛媛大学法文学部卒業。通称は「アンソニー」、「王子」、「アン様」。アンソニー・W・森のWはWhiteの頭文字。 == 来歴 == 闘龍門5期生としてメキシコに渡り、2000年5月13日にデビュー。T2Pに編入され、リングネームを森Ken太郎、次いでアンソニー・W・森と改名し王子キャラを確立。フィリップ・J・福政、ヘンリーIII世・菅原と共にロイヤルブラザーズを結成。以降はギミック上イギリスロンドン出身とされている。 2003年1月19日に東京ドームで開催されたファンタジーファイトWRESTLE-1 IIに闘龍門MEXICO提供試合として出場し、ヘンリーIII世・菅原と石森太二を従えてイタリアン・コネクションのミラノコレクションA.T.、YOSSINO、コンドッティ修司と対戦して勝利した。 T2P解散後は闘龍門JAPANに合流。福政の引退と菅原の悪冠一色入りによりロイヤルブラザーズを解散、イタリアン・コネクションに加入し、初代オープン・ザ・トライアングル・ゲート王者になる。イタコネ解散後はマグナムTOKYOプロデュースによるユニットPos.HEARTSのリーダーとなった。 ドラゴン・キッドと同様に人に裏切られやすく、斎藤了や菅原など、しばしばリング上で愛憎劇が繰り広げられる。 2005年12月23日、KING OF GATEトーナメント1回戦でマグニチュード岸和田と対戦。DRAGON GATE移籍後はシングルで無敗を誇り、オープン・ザ・ドリームゲート王座も所持する岸和田相手に、エレガント・マジックで逆転勝利を収めるという大番狂わせを引き起こす。 これで自信をつけたのか、2006年に入るとドン・フジイに4連勝、1月27日に再び岸和田を三角絞めでレフェリーストップにより勝利。岸和田の肩を破壊し病院送りに。いつしか「ブラッドキラー」と呼ばれるようになる。この実績が認められて2月11日に岸和田のシングル王座に挑戦したが、20分を超える熱戦の末に惜しくも敗れた。 その後、戸澤塾からまさかの勧誘を受け、戸澤塾のトレードマークである専用の学ランも発注。同年6月に正式に入校。特待生扱いなので、白い学ランを着用。Pos.HEARTSとは使い分けて活動することとなった(体裁としてはPos.HEARTSという学校に通いながら戸澤塾にも通うということになっている)。 2007年1月26日、戸澤塾を卒業し、Pos.HEARTSに専念する。しかしPos.HEARTSが解散となったためTyphoonのメンバーとして活動している。 2008年4月13日、吉野正人が保持するオープン・ザ・ブレイブゲート王座に挑戦。吉野相手に圧倒的不利が予想されたが、「Typhoonの絆を取り戻すために」と、Typhoonのメンバーの技を次々と繰り出していくなどにより勝利、初のシングル獲得を果たした。しかし、神田裕之の乱入もあったため、試合内容に納得がいかず、直後に王座を返上した。4月25日のオープン・ザ・ブレイブゲート王座決定トーナメントで吉野正人と再戦し勝利した。しかし決勝でGammaに敗れて王座に返り咲くことはできなかった。 2009年3月22日、サイバー・コングとの因縁に決着をするべく、マスカラ・コントラ・カベジェラ戦に挑むが、REAL HAZARDの介入により敗北。そして自慢のサラサラヘアが刈られて坊主頭になるも、コスチュームもそのままに王子キャラを継続していた。 2010年11月5日のDRAGON GATE後楽園大会のリング上で引退を発表〔ドリームゲート王者吉野がCIMAとの防衛戦を死守 「王子」アンソニー・W・森が引退表明 スポーツナビ 2010年11月5日〕。12月2日、DRAGON GATE「アンソニー・W・森引退興行」が開催され、メインイベントの14人タッグマッチを最後に引退。引退後は裏方として同団体を支える〔DRAGON GATE「アンソニー・W・森引退興行」 スポーツナビ 2010年12月2日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンソニー・W・森」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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