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アンソニー・チャールズ・リントン・ブレア : ミニ英和和英辞書
アンソニー・チャールズ・リントン・ブレア[りんとん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
リントン : [りんとん]
 (n) Linton (Japanese brand of haloperidol), (n) Linton (Japanese brand of haloperidol)

アンソニー・チャールズ・リントン・ブレア ( リダイレクト:トニー・ブレア ) : ウィキペディア日本語版
トニー・ブレア[りんとん]

アントニー・チャールズ・リントン・ブレア(、1953年5月6日 - )は、イギリス政治家弁護士
首相(第73代)、労働党党首(第18代)、下院議員(7期)を歴任する。いまだ前近代的・封建的な慣習や制度が残存していたイギリス貴族院において、世襲議員議席数の制限〔もっとも、上院の権限が強すぎる問題は棚上げになった。
:イギリスの二院制と上院改革の現状 国立国会図書館調査及び立法考査局
〕とイギリス最高裁判所の権能独立という二大改革を成し遂げ、本来のあり方に近い権力分立制の確立を達成した。また、2000年捜査権限規定法を成立させた〔内務大臣は通信傍受の令状を発行することができる。また、令状なしで公共機関の通信データを見ることができる。同法は「覗きの特許状」とあだ名された。公的機関によっては通信傍受を予め許されている。〕。
== 経歴 ==

=== 生い立ち ===
スコットランドエディンバラ生まれ。父親レオは法廷弁護士、ダラム大学法学講師などを務め、保守党の下部機関「ダラム保守協会」の会長も務めた。彼は、オーストラリアアデレードイングランドダラムで幼年期のほとんどを過ごす。ブレアが10歳のころ、父親レオは心臓発作で倒れてしまう。
「スコットランドのイートン校」として知られるエディンバラのフェテス・カレッジ1971年に卒業。そこでの人間関係で、後に彼が大法官に任命することになるチャールズ・ファルコナーに出会った。ただし、ファルコナーは、グレナールモンドのトリニティ・コレッジ出身。フェテス・カレッジは校則の厳しい学校であったが、ここでのブレアはよく規則を破る問題児であった。
卒業後、1年間の休暇を取ってフランスへ渡り、アルバイトなどをして過ごす。そのため、ブレアのフランス語は流暢である。その後、オックスフォード大学セント・ジョンズ・カレッジで法律を学ぶ。在学中には長い髪をし、「アグリー・ルーマーズ(醜い噂)」というハードロックバンドボーカリストとしても活動した。と同時に、かなり年上の友人ピーター・トムソンから影響を受け、スコットランドの哲学者・ジョン・マクマレイの思想、キリスト教社会主義に傾倒する。アイザック・ドイッチャーを通してマルクス主義の影響も受けたと語っている〔Blair, Tony (July 1982). "The full text of Tony Blair's letter to Michael Foot written in July 1982". The Daily Telegraph (London: Telegraph Media Group Ltd.). Retrieved 18 November 2006.〕。この時期の友人に後にウガンダの外相となるオララ・オタンノがいた。また、フェビアン協会に所属していた。
大学卒業の2週間後、母親を亡くす。また、労働党に入党したのも大学卒業の直後である。法廷弁護士資格試験のためにロンドンのリンカーン法曹院で修習を行い、法廷弁護士となる。また、この司法修習を担当したブレアの師が後の大法官デリー・アーヴァインで、後に妻となるシェリー・ブースとは同僚であった。1980年春、シェリーと結婚する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「トニー・ブレア」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Tony Blair 」があります。




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