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アンゾール・キクナーゼ : ミニ英和和英辞書
アンゾール・キクナーゼ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アンゾール・キクナーゼ : ウィキペディア日本語版
アンゾール・キクナーゼ[ちょうおん]


アンゾール・キクナーゼ(Anzor Levanovich Kiknadze 1934年3月26日-1977年11月17日 )はソビエト連邦グルジア・ソビエト社会主義共和国出身の柔道家。
1963年6月、同年10月12日、13日に行われる東京国際スポーツ大会柔道競技への招待選手に選ばれたことが発表された〔招待選手は8人 プレ五輪柔道 読売新聞 1963年6月19日 朝刊6ページ〕。
1964年3月4日に行われたモスクワ国際柔道大会では3回戦で日本の猪熊功に41秒で投げ技で敗れた〔日本 3階級制す モスクワ国際柔道 重量級で猪熊優勝 読売新聞 1964年3月5日 朝刊8ページ〕。4月に東ベルリンで行われた第13回ヨーロッパ柔道選手権大会の団体戦では決勝のオランダ戦で後にオリンピックで金メダルを獲得したウィレム・ルスカに優勢勝ちし、ソ連の2年連続優勝に貢献した〔ソ連が2年連続優勝 欧州柔道選手権、オランダ破り 読売新聞 1964年4月27日 朝刊8ページ〕個人無差別級でもルスカに勝利した〔柔道界の内側から見たヘーシンクVSルスカ最強論争 フジテレビ2007年世界柔道選手権大会HP〕。。
東京オリンピックの柔道80kg超級に出場、準決勝で日本の猪熊功体落としで敗れて〔東京五輪柔道重量級金メダリスト、東海建設社長 猪熊功さん死去 〕〔キクナーゼ選手を体落としで破った猪熊選手 朝日新聞どらくフォトギャラリー〕銅メダルを獲得した。世界柔道選手権大会に2度出場したが1965年大会では準決勝で猪熊功に体落としで敗れ〔加藤、故障再発で苦杯 世界柔道選手権終わる 無差別 読売新聞 1965年10月19日 朝刊11ページ〕、1967年大会も銅メダルに終わった。
1969年5月9日、現役を引退したことがタス通信より報じられた〔海外メモ 読売新聞 1969年45月11日 読売新聞 朝刊8ページ〕。
==主な戦績==
(階級表記のない大会は全て重量級での成績)
*1962年 - ヨーロッパ選手権 アマチュアの部 無差別 優勝
*1963年 - プレオリンピック 2位
*1964年 - ヨーロッパ選手権 アマチュアの部 無差別 優勝
*1964年 - 東京オリンピック 3位
*1965年 - ヨーロッパ選手権 アマチュアの部 無差別 優勝
*1965年 - 世界選手権 無差別 3位
*1966年 - ヨーロッパ選手権 無差別 優勝
*1967年 - ヨーロッパ選手権 無差別 2位
*1967年 - 世界選手権 3位
*1968年 - ヨーロッパ選手権 2位

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンゾール・キクナーゼ」の詳細全文を読む




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