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アンティグア・グアテマラ(Antigua Guatemala)は、グアテマラ・サカテペケス県にある都市。市名は単にアンティグア(Antigua)またはラ・アンティグアとも呼ばれることが多い。同名の基礎自治体の中心地であるとともに、サカテペケス県の県都になっている。 グアテマラ高地に位置し、スペインのムデハル様式の影響を受けたバロック建築と、植民地時代に建てられた多数の教会の遺構で知られている。ユネスコの世界遺産に登録されている。 == 歴史 == ラ・アンティグア・グアテマラ(La Antigua Guatemala)とは「古いグアテマラ」を意味し、グアテマラで3番目の首都であった。最初の首都は、1524年7月25日にカクチケルの都の跡地(現在のイシムチェ)に建設された。7月25日が聖ヤコブの記念日であったことから、この都市はシウダ・デ・サンティアーゴ・デ・ロス・カバジェーロス・デ・グアテマラ(グアテマラの騎士たちの聖ヤコブの都市)と名づけられ、聖ヤコブは都市の守護聖人となった。 カクチケルの反乱が数回起きた後、1527年11月22日により適したアロテナンゴ谷 (Alotenango) に首都が移された。現在のサン・ミゲル・エスコバルの場所にあったこの町は、1541年9月11日にアグア火山から噴出した火山泥流により破壊され、植民地政府はパンチョイ谷 (Panchoy) に首都を移した。1543年3月10日、スペイン人コンキスタドールは、現在のアンティグアを建設し、再びサンティアーゴ・デ・ロス・カバジェーロスと名づけた。200年以上の間、スペイン植民地グアテマラ総督府(現在の中央アメリカのほとんどとメキシコ南部のチアパス州を治める)がアンティグアに置かれていた。 1717年9月29日、推定マグニチュード7.4の地震がアンティグアを襲い、3,000以上の建物が崩壊し、町のほとんどの建造物は廃墟となった。この地震被害により政府は首都の移転を考慮するようになった。 さらに1773年のサンタ・マルタ地震によって町の大部分が破壊されたことで、3度目の遷都へと至る。1776年スペイン王は首都を安全な場所に移す命令を下し、現在のシウダ・デ・グアテマラのある場所に首都が移された。新しい首都には古称は用いられず、ヌエバ・グアテマラ・デ・ラ・アスンション(被昇天の新しいグアテマラ)と名づけられ、守護聖人は聖母マリア被昇天とされた。壊滅的な被害を受けた旧首都サンティーアゴ・デ・ロス・カバジェーロスは放棄されたが、すべての市民が転居したわけではなかったので、それ以後町はアンティグア・グアテマラ(古いグアテマラ)と呼ばれるようになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンティグア・グアテマラ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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