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アントニオ・アルフォンセカ : ミニ英和和英辞書
アントニオ・アルフォンセカ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アントニオ・アルフォンセカ : ウィキペディア日本語版
アントニオ・アルフォンセカ

アントニオ・アルフォンセカAntonio Alfonseca, 1972年4月16日 - )は、ドミニカ共和国ラ・ロマーナ州ラ・ロマーナ出身のプロ野球選手投手)。右投右打。
== 経歴 ==
モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)に入団し、プロ入り。12月の球団拡張ドラフトで新球団フロリダ・マーリンズ(現マイアミ・マーリンズ)へ移籍。6月17日デトロイト・タイガース戦でメジャーデビューを果たし、初勝利を記録。この年、レギュラーシーズン17試合すべてリリーフで登板した。チームはワイルドカードでポストシーズン進出。アルフォンセカはロースターから漏れたが、アレックス・フェルナンデスの故障によりリーグチャンピオンシップシリーズの後、ロースター入りを果たした。ワールドシリーズでは3試合に登板し、6.1回を無失点に抑え、球団史上初のワールドチャンピオンの一員となった。
にメジャーに定着。4月27日コロラド・ロッキーズ戦でメジャー初セーブを挙げ、シーズントータルで58試合に登板し、8セーブを記録した。登板数、セーブ数はともにチーム2位となった。は昨年より防御率を0.8点以上改善し、7月11日にシーズン初セーブを記録すると以後クローザーとして起用され、21セーブを記録した。にリーグ最多の45セーブを記録し、球団タイ記録となった。チームの勝利の57%でセーブを記録し、セーブ成功率は91.8%(45/49)で佐々木主浩の92.5%(37/40)に次ぐ両リーグ2位となった。
は28セーブを記録し、9月18日に通算100セーブを達成し、9月22日に通算270試合目の登板し、ロブ・ネンの球団記録を更新した。翌年の開幕前の3月にトレードシカゴ・カブスへ移籍した。移籍1年目のは19セーブを記録したが、9回もセーブ機会で記録できずに終わった。オフには投球を安定させるため首脳陣から9キログラムの減量を厳命された〔『メジャー・リーグ・ベースボール オフィシャルイヤーブック2003』ベースボールマガジン社、2003年、ISBN 9784583612232、71頁〕。しかし、は60試合に登板するも防御率は5.83に終わり、デビュー年以来のマイナー降格も経験した。
シーズン終了後、アトランタ・ブレーブスへ1年総額150万ドル出来高100万ドルで移籍〔『月刊メジャー・リーグ』2004年3月号、ベースボールマガジン社、2004年、雑誌 08625-3、45頁〕。迎えたシーズン、79試合に登板し、防御率は2.57と自己ベストを更新。は4年ぶりに古巣マーリンズへ復帰。4月は防御率1.59だったものの、4月22日から故障者リスト入りメジャーに復帰したのは7月26日。復帰後、防御率は8月が5.79で、9月は7.56だった。
テキサス・レンジャーズへ移籍。怪我のため19試合の登板に終わった。はフィラデルフィア・フィリーズへ。5月25日にクローザーのブレット・マイヤーズが故障者リスト入りとなり、マイヤーズが離脱中はクローザーとして起用され、5月26日に5年ぶりにセーブを記録した。は一度もメジャーやマイナーリーグのマウンドに上がること無くシーズンを終了した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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