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アントニオ・カルダーラ : ミニ英和和英辞書
アントニオ・カルダーラ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アントニオ・カルダーラ : ウィキペディア日本語版
アントニオ・カルダーラ[ちょうおん]

アントニオ・カルダーラAntonio Caldara, 1670年 ヴェネツィア - 1736年12月28日 ウィーン)はイタリアバロック音楽作曲家歌劇と宗教曲の両面において重要。
== 生涯 ==
ヴェネツィアヴァイオリニストの家庭に生まれる(正確な日付は不詳)。聖マルコ大寺院の聖歌隊員となる傍ら、おそらくジョヴァンニ・レグレンツィのもとでいくつかの楽器を習得する。1699年マントヴァフェルディナンド・カルロの招聘を受け、マントヴァ公ゴンザーガ家の宮廷楽長となる。1707年マントヴァスペイン継承戦争の中オーストリアに併合され、ゴンザーガ家が没落したため、カルダーラはローマに移り、ルスポリ大公(Ruspoli)の宮廷楽長に就任する。1715年ウィーンの宮廷楽長ジアーニが没すると、カルダーラは自らを宮廷楽長または副楽長とするよう神聖ローマ皇帝カール6世に請願書を送る。これが認められて1716年ウィーンの宮廷副楽長に就任、以降没するまでその地位にあった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アントニオ・カルダーラ」の詳細全文を読む




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