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トニーニョ(Toninho)こと、アントニオ・ベネディット・ダ・シルバ(Antônio Benedito da Silva、1965年3月23日 - )は、ブラジル出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード、攻撃的なミッドフィールダー。 == 略歴 == 16歳のときにキンゼ・デ・ジャウーでデビューし、17歳のときにポルトゲーザに移籍。〔1989年にはブラジル代表に招集され、3月15日にあったエクアドル代表との親善試合で1キャップを記録した。その後はグアラニとフラメンゴに在籍。〔 1991年夏に日本の読売クラブ(現 東京ヴェルディ)に移籍。デビュー戦となったJSLカップの中央防犯戦での5ゴールをはじめ、同大会で10ゴールを挙げて読売クラブの優勝に貢献した。〔JSLの最終シーズンとなった1991-92シーズンには18得点を挙げ得点王に輝いた。 1992年のナビスコカップからは清水エスパルスに移籍。ポジションはFWではなく攻撃的なMFだったがその得点力は驚異的で、93年は負傷のためほぼ1年棒に振ることになるが、翌94年の前期は絶好調で16得点を挙げチームは優勝戦線に躍り出るものの、シジマールが終盤で負傷し失速した。一方で、後期はロベルト・リベリーノへの監督交代劇もあり精彩を欠いた。1995年のサントリーシリーズでは、堀池巧や長谷川健太が序盤で負傷し戦線を離脱。その為チームは低迷していたがトニーニョは獅子奮迅の働きを見せ11得点を挙げている。同シリーズ終了後、外国籍選手枠の関係で浦和レッズに期限付き移籍した。浦和では監督のホルガー・オジェックの発案でディフェンダーも務めた。1996年には清水に復帰するが、同年に監督に就任したオズワルド・アルディレスは、フェルナンド・オリバを主軸に据えていたため目立った活躍は出来なかった。トニーニョとオリバは定位置が同じく1.5列目であるため、トニーニョは必然的に出場機会が縮小される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アントニオ・ベネディット・ダ・シルバ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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