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アントニーナ・ネジダーノヴァ : ミニ英和和英辞書
アントニーナ・ネジダーノヴァ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アントニーナ・ネジダーノヴァ : ウィキペディア日本語版
アントニーナ・ネジダーノヴァ[ちょうおん]

アントニーナ・ヴァシーリエヴナ・ネジダーノヴァ(、ラテン文字転写例: Antonina Vasil'evna Nezhdanova、1873年6月16日オデッサ近郊クリヴァヤ・バルカ — 1950年6月26日モスクワ) はロシア及びソヴィエト連邦ソプラノ歌手。ロシアの声楽界を代表する歌手の一人である。夫は指揮者ニコライ・ゴロワノフ
== 概説 ==
1873年にオデッサ近郊のクリヴァヤ・バルカで生まれた。1899年から1902年にかけてモスクワ音楽院でウンベルト・マゼッティに師事した。卒業するとすぐにボリショイ劇場にソリストとして招聘され、グリンカ『皇帝に捧げた命』のアントニーダ役で初舞台を踏んだ。ボリショイ劇場ではその後30年以上にわたってオペラの主要な役を演じた。
彼女が演じた主な役にはグリンカ『ルスランとリュドミラ』のリュドミラやチャイコフスキーエフゲニー・オネーギン』のタチアナ、ロッシーニセビリアの理髪師』のロジーナ、ドリーブラクメ』のラクメ、リムスキー=コルサコフ『雪娘』の雪娘、『サトコ』のヴォルホヴァ、『金鶏』のシェマハの女王などがある。その中でも特に彼女を有名にしたのは『皇帝に捧げた命』のアントニーダとリムスキー=コルサコフ『皇帝の花嫁』のマルファの演技だった。
ネジダーノヴァの歌唱は澄明な発声、音程の正確さ、及びコロラトゥーラの技巧により高く評価された。舞台上での演技についてはフョードル・シャリャーピンコンスタンチン・スタニスラフスキーの助言も受けたが、彼女が最も意を払っていたのは歌による人物造型だった。彼女と定期的に共演していた男性歌手がレオニード・ソビノフで、彼らのデュエットはその完璧なまでのハーモニーによりオペラ芸術の鑑と称えられた。
オペラ以外の声楽作品の演奏にも取り組み、ベートーヴェンシューベルトチャイコフスキーラフマニノフストラヴィンスキーなどの歌曲やロシア民謡などを歌った。ラフマニノフやアレンスキーグラズノフスクリャービン、夫のゴロワノフともしばしば共演した。特にラフマニノフからヴォカリーズを献呈され、作曲者との共演により初演したことはよく知られている。
1936年にはソ連人民芸術家の称号を与えられ、同年からボリショイ劇場のオペラ養成所で声楽を教えた。1943年からはモスクワ音楽院の教授となり、リムスキー=コルサコフやラフマニノフ、ソビノフなどについての論文を執筆した。
1950年にモスクワで亡くなった。同年よりオデッサ音楽院は自校の名称に彼女の名を冠している。
1977年に発見された小惑星ネジダーノヴァは彼女に因んで名付けられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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