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アントニー・グラボウスキー : ミニ英和和英辞書
アントニー・グラボウスキー[らぼ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ラボ : [らぼ]
 【名詞】 1. (abbr) laboratory 2. language laboratory 3. (P), (n) (abbr) laboratory/language laboratory

アントニー・グラボウスキー : ウィキペディア日本語版
アントニー・グラボウスキー[らぼ]
アントニー・グラボウスキー(Antoni Grabowski, 1857年6月11日 - 1921年7月4日)は、ポーランド化学技術者、エスペラントの運動家。初期のエスペラントの発展に貢献した。
== 生涯 ==

=== 学歴・職歴 ===
プロイセン王国のクルム(現在のポーランド・ヘウムノ)近郊のノイグート(現在のクヤヴィ=ポモージェ県生まれ。生後すぐに彼の家族はトルンへ転居した。
貧しかったため基礎学校を出た後すぐ働かなければならなかったが、援助を受けず独学でギムナジウムに入るために勉強した。そして入学試験でぬきんでた成績でギムナジウムに入ることができた。
トルンのギムナジウムでの彼の成績は優秀だった。
1879年9月にギムナジウムを卒業してまもなく彼の家族の財政事情が良くなった。グラボウスキーはブレスラウ大学(Vroclavo)で哲学自然科学を学んだ。後に化学技師としてザヴィエルチェ Zawiercie や現在のチェコの各地で働き、後にモスクワから北東に250km離れた都市イヴァノヴォ・ヴォズネセンスクの織物工場の所長になった。
その後も化学の研究を続け、彼の多くの工業技術上の発明をしてヨーロッパ中で有名になった。専門的な記事を雑誌''Chemik Polski''や''Przegląd Techniczny''に投稿した。彼はIra Remsenの化学の専門書をポーランド語に翻訳し、後に技術的な専門用語をポーランド語に翻訳する委員会のメンバーになった。そして、数年かかって1906年にポーランド人のための最初の化学の専門用語の辞書''Słownik chemiczny''を出版した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アントニー・グラボウスキー」の詳細全文を読む




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