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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アントワーヌ・コンブアレ(Antoine Kombouaré、1963年11月16日 - )は、フランスの海外領土であるニューカレドニア(ヌーヴェル・カレドニー)の政庁所在地ヌメア出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。 == 経歴 == === 選手 === 1982年にFCナントからデビューし、1990年までにリーグ戦で177試合に出場した。1990年にパリ・サンジェルマンFCに移籍。1992-93シーズンのUEFAカップ準々決勝・レアル・マドリード戦セカンドレグでは、ロスタイムに決勝点となるヘディングシュートを決め、準決勝進出に貢献した。この大会ではRSCアンデルレヒト戦でも同様に決勝点を挙げている。たびたび決定的なヘディングシュートを決めたため、Casque d'Or(ゴールデン・ヘルメット)という愛称が付けられた。1994-95シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ準々決勝ではヨハン・クライフ率いるエル・ドリーム・チームのFCバルセロナと対戦し、2-1で予期せぬ勝利を収めて準決勝に進出したが、ACミランに敗れてベスト4に終わった。パリ・サンジェルマンFCでは5シーズンプレーし、1992-93シーズンと1994-95シーズンにはクープ・ドゥ・フランス優勝を、1995年にはクープ・ドゥ・ラ・リーグ優勝を果たした。1993-94シーズンにはアルトゥール・ジョルジェ監督率いるチームでリーグ戦9試合に出場し、自身初のリーグ優勝を果たした。1992-93シーズン以降はアラン・ロチェ、ポール・ル・グエン、リカルド・ゴメスなどが在籍していたため、コンブアレの出場機会は限られたが、しばしばロスタイムに決勝点を挙げること、ビッグゲームでも冷静に試合に臨んで活躍することから、パリ・サンジェルマンFCのサポーターの間のカルト・ヒーローとなった。 1995年にはスイス・スーパーリーグのFCシオンに移籍した。この際の移籍金は公表されていない。1996年、ロイ・アイトケン監督率いるスコティッシュ・プレミアリーグのアバディーンFCに移籍した。移籍金は30万ポンドであり、不安定なアバディーンFCの守備陣にベテランの経験値を加えることが期待された。アバディーンFCでは2シーズンで公式戦50試合に出場して3得点を挙げ、1998年5月にクラブを離れた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アントワーヌ・コンブアレ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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