翻訳と辞書
Words near each other
・ アントワーヌ・デュアメル
・ アントワーヌ・デュ・ヴェルディエ
・ アントワーヌ・トゥルイユ・ド・ブリアー
・ アントワーヌ・トゥルイユ・ド・ボーリュー
・ アントワーヌ・ドルザ
・ アントワーヌ・ドルレアン
・ アントワーヌ・ドルレアン (モンパンシエ公)
・ アントワーヌ・ドワネル
・ アントワーヌ・ド・グランヴェル
・ アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ
アントワーヌ・ド・ジュシュー
・ アントワーヌ・ド・ブルボン
・ アントワーヌ・ド・ベルトラン
・ アントワーヌ・ド・ラヴァレット
・ アントワーヌ・ド・ラヴォワジェ
・ アントワーヌ・ド・リュクサンブール
・ アントワーヌ・ニコラ・デュシェーヌ
・ アントワーヌ・ヌゴッサン
・ アントワーヌ・バラール
・ アントワーヌ・バルナーヴ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アントワーヌ・ド・ジュシュー : ミニ英和和英辞書
アントワーヌ・ド・ジュシュー[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アントワーヌ・ド・ジュシュー : ウィキペディア日本語版
アントワーヌ・ド・ジュシュー[ちょうおん]
アントワーヌ・ド・ジュシュー(Antoine de Jussieu、1686年7月6日 - 1758年4月12日)は、フランス医師植物学者である。
==生涯==
リヨンに生まれた。父親は薬剤師で、弟、ベルナール・ド・ジュシューとジョセフ・ド・ジュシュー(Joseph de Jussieu)も植物学者となった。リヨンのイエズス会の学校で学んだ後、モンペリエ大学の、Pierre Magnolに医学植物学を学んだ。1707年に医者の資格をとり、トレヴォー(Trévoux)で医師をした後、1708年にパリに出て、王立植物園ジョゼフ・ピトン・ツルヌフォールのもとで植物学の研究を続けた。1710年にディスナール(Antoine-Tristan Danty d'Isnard)の後を継いで、王立植物園の学芸員となった。1710年にベルナール・ド・ジュシューとともにフランス、スペインポルトガルなどを調査旅行した。1715年に最初の科学的な論文として、自ら種から育てたコーヒーノキに関する論文を書き、後にジュシューはレユニオン島など各地の植民地でコーヒーノキの栽培を試みた。古生物学等の分野でも化石の研究を行い、アンモナイトを動物に分類する論文や先史時代人類の火打ち石の使用についての論文などを書いた。分類学の分野では葉緑素などの光合成色素をもたない真菌類を植から分離することを主張した。
1714年に、フランスの植物学者、ジャック・バルレリエの残した植物銅版画を、『フランス、スペイン、イタリアの植物図』(Icones Plantarum per Galliam, Hispaniam et Italiam observatæ)し、1719年にツルヌフォールの『基礎植物学』(Institutions Rei Herbariae)の3訂版の編集を行った。
1712年に科学アカデミー会員に選ばれ、1718年にはハンス・スローンの推薦で王立協会の会員に選ばれた。


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アントワーヌ・ド・ジュシュー」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.