翻訳と辞書
Words near each other
・ アントワーヌ・ブリュメル
・ アントワーヌ・ブールデル
・ アントワーヌ・プレジウソ
・ アントワーヌ・ベシャン
・ アントワーヌ・ベルマン
・ アントワーヌ・ペブスナー
・ アントワーヌ・ペヴスナー
・ アントワーヌ・ペヴスネル
・ アントワーヌ・ボーメ
・ アントワーヌ・マルモンテル
アントワーヌ・メイエ
・ アントワーヌ・モノー
・ アントワーヌ・モノー・Jr
・ アントワーヌ・モノー・ジュニア
・ アントワーヌ・ライシャ
・ アントワーヌ・ライヒャ
・ アントワーヌ・ラボアジエ
・ アントワーヌ・ラヴォアジェ
・ アントワーヌ・ラヴォアジエ
・ アントワーヌ・ラヴォワジェ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アントワーヌ・メイエ : ミニ英和和英辞書
アントワーヌ・メイエ[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アントワーヌ・メイエ : ウィキペディア日本語版
アントワーヌ・メイエ[ちょうおん]

アントワーヌ・メイエ(Paul-Jules-Antoine Meillet, 1866年11月11日 - 1936年9月21日)は、フランス言語学者パリ大学に学びミシェル・ブレアルフェルディナン・ド・ソシュール、またフランス社会学を発展させたエミール・デュルケームを主幹とした『社会学年報 (L'Année sociologique)』 周辺に集まった研究集団(デュルケーム学派)に大きな影響を受ける。1890年調査団の一員としてカフカスコーカサス)に赴いたことをきっかけにアルメニア語を研究する。著名な弟子に言語学者エミール・バンヴェニスト比較神話学ジョルジュ・デュメジルがいる。

==略歴==

*1866年フランスのアリエ県ムランに生まれる
*1897年論文「Recherches sur l'emploi du génitif-accusatif en vieux-slave」で博士号をとる
*1902年東洋言語学院の講師としてアルメニア語を教える
*1905年コレージュ・ド・フランス印欧語族について比較言語学の講師を務める
*1936年シェール県シャトーメイヤン (:fr:Châteaumeillant) で亡くなる

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アントワーヌ・メイエ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.