翻訳と辞書
Words near each other
・ アントン・ディアベッリ
・ アントン・ディアベリ
・ アントン・デルモタ
・ アントン・デルモータ
・ アントン・デ・ハーエン
・ アントン・トカシュ
・ アントン・トカレフ
・ アントン・トマシゥ・リンハルト
・ アントン・ドストラー
・ アントン・ドレクスラー
アントン・ドヴォルザーク
・ アントン・ドヴォルジャーク
・ アントン・ド・バリー
・ アントン・ドーリン
・ アントン・ナヌート
・ アントン・ハイダ
・ アントン・ハルティンガー
・ アントン・パウリク
・ アントン・パンネクーク
・ アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アントン・ドヴォルザーク : ミニ英和和英辞書
アントン・ドヴォルザーク[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アントン・ドヴォルザーク ( リダイレクト:アントニン・ドヴォルザーク ) : ウィキペディア日本語版
アントニン・ドヴォルザーク[ちょうおん]

アントニン・レオポルト・ドヴォルザークチェコ語:1841年9月8日 - 1904年5月1日)は後期ロマン派におけるチェコ作曲家。チェコ国民楽派を代表する作曲家である。チェコ語の発音により近い「ドヴォルジャーク」〔アントニン・ドヴォルジャーク - 音楽人物辞典 - 楽器解体全書PLUS - ヤマハ株式会社 〕「ドヴォジャーク」〔日本チェコ友好協会-ドヴォジャークの会 〕という表記も用いられている(表記についてはドヴォジャークを参照)。
ブラームスに才能を見いだされ、『スラヴ舞曲集』で一躍人気作曲家となった。スメタナとともにボヘミア楽派と呼ばれる。その後、アメリカに渡り、音楽院院長として音楽教育に貢献する傍ら、ネイティブ・アメリカンの音楽や黒人霊歌を吸収し、自身の作品に反映させている。
代表作に、弦楽セレナード管楽セレナードピアノ五重奏曲第2番交響曲第7番交響曲第8番交響曲第9番『新世界より』スラヴ舞曲集、この分野の代表作でもあるチェロ協奏曲、『アメリカ』の愛称で知られる弦楽四重奏曲第12番などがある。'' 、1841年9月8日 - 1904年5月1日)は後期ロマン派におけるチェコ作曲家。チェコ国民楽派を代表する作曲家である。チェコ語の発音により近い「ドヴォルジャーク」〔アントニン・ドヴォルジャーク - 音楽人物辞典 - 楽器解体全書PLUS - ヤマハ株式会社 〕「ドヴォジャーク」〔日本チェコ友好協会-ドヴォジャークの会 〕という表記も用いられている(表記についてはドヴォジャークを参照)。
ブラームスに才能を見いだされ、『スラヴ舞曲集』で一躍人気作曲家となった。スメタナとともにボヘミア楽派と呼ばれる。その後、アメリカに渡り、音楽院院長として音楽教育に貢献する傍ら、ネイティブ・アメリカンの音楽や黒人霊歌を吸収し、自身の作品に反映させている。
代表作に、弦楽セレナード管楽セレナードピアノ五重奏曲第2番交響曲第7番交響曲第8番交響曲第9番『新世界より』スラヴ舞曲集、この分野の代表作でもあるチェロ協奏曲、『アメリカ』の愛称で知られる弦楽四重奏曲第12番などがある。
== 生涯 ==

=== 幼少期 ===

ドヴォルザークは、プラハの北約30kmほど、北ボヘミアロプコヴィツ家の本拠地のひとつであるネラホゼヴェスに生まれた。生家は肉屋と宿屋を営んでいた。父親はツィターの名手として村では評判で、簡単な舞曲を作曲して演奏することもあった。また、近所の町でやはり肉屋を経営していた伯父もトランペットの名手として知られていた。6歳で小学校に通い始めるが校長のヨゼフ・シュピッツにヴァイオリンの手ほどきを受けると見る間に上達し、父の宿屋や教会で演奏するようになった。8歳で村の教会の聖歌隊員、9歳でアマチュア楽団のヴァイオリン奏者となり、音楽的才能を見せ始める。父親は長男であったアントニンには肉屋を継がせるつもりであったため、小学校を中退させ、故郷から30kmほど離れた母方の伯父が住むズロニツェという町へ肉屋の修業に行かせた。ところが、この町の職業専門学校の校長で、ドイツ語を教えていた(当時、肉屋の技術修得書を得るためにはドイツ語が必修であった)アントニン・リーマンは、教会のオルガニストや小楽団の指揮者を務め、教会音楽の作曲も行った、典型的なカントルというべき人物で、ドヴォルザークにヴァイオリン、ヴィオラオルガンの演奏のみならず、和声学をはじめとする音楽理論の基礎も教えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アントニン・ドヴォルザーク」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.