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アントーニア・デル・バルツォ : ミニ英和和英辞書
アントーニア・デル・バルツォ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アントーニア・デル・バルツォ : ウィキペディア日本語版
アントーニア・デル・バルツォ[ちょうおん]
アントーニア・デル・バルツォAntonia del Balzo, ? - 1374年1月23日)は、ナポリ王国フランス系貴族女性で、シチリア王フェデリーコ3世の2番目の王妃
アンドリア公フランチェスコ1世・デル・バルツォと、その2番目の妻でターラントフィリッポ1世の娘であるマルゲリータ(1380年没、スコットランド王エドワード・ベイリャルの未亡人)の間の長女として生まれた。同腹の兄ジャコモ(ジャック・デ・ボー)は母方のアンジュー王家からターラント公、アカイア公、名目上のラテン帝国皇帝の地位を相続した。
1372年1月17日にフェデリーコ3世と結婚した。夫は死別した先妻コスタンツァ・ダラゴーナとの間に男子が無く、この結婚により世継ぎの誕生を期待したが、アントーニアは結婚後2年で子供を産まずに死去した。
== 外部リンク ==

*A listing of descendants of the Baux family



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アントーニア・デル・バルツォ」の詳細全文を読む




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