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アントニ・ガウディ(カタルーニャ語:Antoni Plàcid Guillem Gaudí i Cornet, gəu̯ˈði i kuɾˈnɛt 1852年6月25日 - 1926年6月10日)は、スペイン、カタルーニャ出身の建築家。19世紀から20世紀にかけてのモデルニスモ(アール・ヌーヴォー)期のバルセロナを中心に活動した。サグラダ・ファミリア(聖家族教会)・グエル公園(1900-14)・カサ・ミラ(1906-10)をはじめとしたその作品はアントニ・ガウディの作品群として1984年ユネスコの世界遺産に登録されている。スペイン語(カスティーリャ語)表記では、アントニオ・ガウディ(Antonio Plácido Guillermo Gaudí y Cornet)。 == 生涯 == === 誕生 === アントニ・ガウディは、1852年6月25日午前9時半〔ファン・バセゴダ・ノネル『ガウディ』美術公論社、1992年、p. 25.〕、カタルーニャ州タラゴナ県に、父フランセスク・ガウディ・イ・セラと母アントニア・クルネット〔カスティーリャ語式の発音に準じたコルネットの表記もある。〕・イ・ベルトランの5人目の子として生まれた。一家の次女マリアと長男のフランセスクはそれぞれ幼くして亡くなったため、三男アントニは長女のローザ、次男のフランセスクとの3人姉弟の弟として成長した。 ガウディの出生地とされる場所には、レウスとその近郊の村リウドムス(Riudoms)の2箇所がある。レウス説は、洗礼を受けた聖ペラ教会の台帳や学校に提出された書類に基づくものである。その一方で、ガウディはリウドムスのマス・デ・ラ・カルデレラ(Mas de la Calderera)で生まれ、洗礼をレウスで行なったとも伝えられている。〔バセゴダ、pp. 22-29.〕 ガウディ家の先祖は17世紀初頭にフランス、オーヴェルニュ地方からリウドムスへやってきた。リウドムス出身の父フランセスクは、銅板を加工して鍋や釜を作る銅細工師であり、「銅細工師の家」の意味をもつマス・デ・ラ・カルデレラは彼の仕事場であった。ガウディは父方・母方ともに銅細工職人という家系に生まれたことが、空間を把握するという、自らの建築家としての素地となったと考えていた。〔ロベール・デシャルヌ、クロヴィス・プレヴォー『ガウディ――芸術的・宗教的ヴィジョン』鹿島出版会、1993年、p. 18.〕 画像:Casadegaudi-reus.png| 画像:Mas calderera.jpg| (父の仕事場) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アントニ・ガウディ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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