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アンドレアモン : ミニ英和和英辞書
アンドレアモン
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アンドレアモン : ウィキペディア日本語版
アンドレアモン

アンドレアモンとは、日本競走馬種牡馬である。
== 経歴 ==
1979年青森県の三浦牧場により生産。アモンの所有馬となり美浦の松山康久厩舎に預託された。
1981年11月中山競馬場ダート1200mの新馬戦で吉永正人鞍上でデビューし、2番人気に支持されるが15着に終わる。翌1982年4月に4戦目で初勝利を挙げた。
400万条件に昇級後はを2戦するが6・7着で、ダートに戻って2勝目を挙げた。800万条件に昇級しても大崩れなく走り、昇級4戦目のダート1800mの競走で勝ち上がり、ダート1800mばかりで3勝目となった。年が明けて1983年1月に門松賞出走、昇級戦ながら2着に入ったが、この後は休養に充てた。
同年7月に800万下に降級となり、復帰初戦の大倉山特別は3着だったものの、続く摩周湖特別で4勝目を挙げると、続く800万下条件戦、南武特別、さらには昇級後の1300万下条件戦まで4連勝を飾り、この年を終えた。
1984年は7月の道新杯で復帰し、タイムス杯で2着となるが、続く自己条件のオクトーバーハンデキャップは久しぶりの芝と2400mが影響したのか10着と大敗を喫する。しかし、その後のカブトヤマ記念では得意距離もあって2着に食い込み、芝でも力を発揮できるところを見せた。
根岸ステークスも2着に入ると、自己条件の霜月賞で8勝目を挙げ、年末のウインターステークスをレコードタイムで勝って重賞初勝利となり、優駿賞最優秀ダートホースに選出された。さらに年が明けて1985年も勢いは止まらず、アレキサンドライトステークス、フェブラリーハンデキャップ、京葉ステークスと5連勝となった。フェブラリーハンデキャップではトップハンデの58.5kg、京葉ステークスでは60.5kgという重い斤量を背負いながらの勝利であり、充実ぶりを物語っている。
しかし、これ以降は出走する度に重い斤量を背負うこととなり、タイムス杯では61.5kgという酷とも言える斤量ながら13勝目を挙げたが、これが最後の勝利となってしまう。
年末にはウインターステークス連覇を賭けて出走、1番人気に推されたものの4着が精一杯だった。この年も最優秀ダートホースに選出されている。
1986年のフェブラリーハンデキャップは62kgと、これまでで一番重い斤量で出走となり6着に終わる。これを最後に引退し、種牡馬入りすることになった。種牡馬としてはウインターステークスを勝ったローリエアンドレを出している。
種牡馬引退後は2003年の時点では功労馬繋養展示事業における助成金交付を受けて生まれ故郷の三浦牧場で余生を過ごしていた〔http://web.archive.org/web/20030801205147/http://www.b-t-c.or.jp/btc_p500/main.html〕が、2004年の一覧には入っていない〔http://web.archive.org/web/20040604011139/http://www.b-t-c.or.jp/btc_p500/p500_02.html〕事からこの間に死亡したものと思われる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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