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アンドレア・ジャーニ : ミニ英和和英辞書
アンドレア・ジャーニ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

ジャー : [じゃー]
 【名詞】 1. jar 2. (n) jar
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アンドレア・ジャーニ : ウィキペディア日本語版
アンドレア・ジャーニ[ちょうおん]

アンドレア・ジャーニ(Andrea Giani、1970年4月22日 - )は、イタリアの男子バレーボール選手、指導者。ナポリ出身。ポジションはミドルブロッカー。元バレーボールイタリア男子代表
== 来歴 ==
父のダリオ・ジャーニ1964年東京オリンピックに出場した元ボート競技選手。中学校在学時に見出されてサバウディアのジュニアチームからバレーボールを始め〔、14歳でセリエA2・サバウディアへ入団。1985年、15歳でセリエA1パルマへ入団した。在籍した10年間にリーグ優勝を3度飾り、当時イタリア代表でチームメイトだったアンドレア・ゾルジと共にパルマの中心選手として活躍した。1996年に移籍したモデナでも2度のリーグ優勝を飾った。
1988年5月6日ルッカで行われたイタリア-フィンランド戦(3-0)で代表デビューを飾り、2005年に代表を退くまでイタリア代表の歴代1位となる通算474試合に出場〔〔。1988年ソウルオリンピック(9位)、1992年バルセロナオリンピック(5位)、1996年アトランタオリンピック(銀メダル)、2000年シドニーオリンピック(銅メダル)、2004年アテネオリンピック(銀メダル)のイタリア男子史上最高の5大会連続オリンピック出場を果たしたほか〔、世界選手権3連覇、ワールドリーグ7度優勝、欧州選手権4度優勝に貢献した。1995年ワールドカップ1994年ワールドリーグで最優秀選手賞、1998年ワールドリーグでベストブロッカー賞を受賞した。
2008年10月23日、フリオ・ベラスコ、アンドレア・ガルディーニに続き、イタリアで3人目となるバレーボール殿堂入りを果たす〔。オポジット、レフト、ミドルブロッカーと幅広いポジションをこなし〔、1990年代に最も活躍したバレーボール選手の一人であり、「イタリアバレーボール界の英雄」と呼ばれた。
なお、イタリア政府からは2000年7月にイタリア共和国功労勲章カヴァリエーレ、2004年9月に同功労勲章ウッフィチャーレを受章している。
現役引退後は指導者の道を歩み、2007年にモデナの監督に就任。2008-09年のシーズン途中で監督を降板した。2009年にセリエA2・Mローマの監督に就任し、2010年コッパ・イタリアA2で優勝、A2プレーオフ・ファイナルで優勝し、Mローマを2年ぶりのA1復帰へと導いた。
2015年3月、スロベニア代表監督に就任。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンドレア・ジャーニ」の詳細全文を読む




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