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アンドレア・フラバコバ : ミニ英和和英辞書
アンドレア・フラバコバ
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。


アンドレア・フラバコバ ( リダイレクト:アンドレア・フラバーチコバ ) : ウィキペディア日本語版
アンドレア・フラバーチコバ

アンドレア・フラバーチコバAndrea Hlaváčková, チェコ語発音:  ,1986年8月10日 - )は、チェコプルゼニ出身の女子プロテニス選手。2011年全仏オープン2013年全米オープン女子ダブルスで、ルーシー・ハラデツカと組んで優勝した。2012年ロンドン五輪の女子ダブルス銀メダルも獲得している。自己最高ランキングはシングルス58位、ダブルス3位。これまでにWTAツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで15勝を挙げている。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。身長174cm、体重62kg。「フラバコバ」の表記揺れも多い。
== 来歴 ==
曽祖父の代から続くピルスナー醸造家の家に生まれたフラバーチコバは3歳からテニスを始め、2004年にプロに転向。しばらくはITFのサーキット大会での下積みが続いた。2007年5月の地元プラハの大会でペトラ・チェトコフスカと組んだダブルスでツアー初優勝した。
2011年全仏オープン女子ダブルスでルーシー・ハラデツカと組みノーシードから決勝に進出し、サニア・ミルザ&エレーナ・ベスニナ組を 6–4, 6–3 で破り4大大会ダブルスタイトルを獲得した。(フラバーチコバはこれまで4大大会でベスト8以上に進出したもなかった。)
2012年はルーシー・ハラデツカとのダブルスで全豪オープン全仏オープンでベスト4に進出した。ウィンブルドンでは4大大会2度目の決勝に進出した。決勝ではセリーナ・ウィリアムズ&ビーナス・ウィリアムズ組に 5–7, 4–6 で敗れ準優勝となった。ロンドン五輪でオリンピックに初出場。女子ダブルス準決勝で第1シードのリサ・レイモンド&リーゼル・フーバー組を 6–1, 7–6 で破り決勝に進出した。決勝ではウィリアムズ姉妹組に 4–6, 4–6 で敗れ銀メダルを獲得している。全米オープンでも決勝に進出しサラ・エラニ&ロベルタ・ビンチ組に 4–6, 2–6 で敗れウィンブルドンに続き準優勝となった。最終戦のWTAツアー選手権にも出場しダブルス決勝でマリア・キリレンコ&ナディア・ペトロワ組に 1-6, 4–6 で敗れ準優勝となった。
2013年全米オープンではベラルーシのマックス・ミルヌイと組んだ混合ダブルスで決勝に進出し、アビゲイル・スピアーズ&サンティアゴ・ゴンサレス組を 7-6(5), 6–3 で破って優勝し初の混合ダブルスタイトルを獲得した。ハラデツカとの女子ダブルスでも決勝でオーストラリアのアシュリー・バーティ&ケーシー・デラクア組を 6–7(4), 6–1, 6–4 で破りダブルス2冠を獲得した。
シングルスでは2012年全米オープンの3回戦で第14シードのマリア・キリレンコを 5–7, 6–4, 6–4 で破り4回戦に進出した。4回戦ではセリーナ・ウィリアムズに 0–6, 0–6 で完敗した。2013年7月のバートガシュタイン大会でツアー初の決勝に進出したが、イボンヌ・モイスブルガーに 5–7, 2–6 で敗れ準優勝となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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