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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アンドレ・カズヌーヴ(, 生年不詳 - 1874年)は、フランス陸軍の下士官で、フランス帝室種馬飼育場付伍長。幕末にフランス軍事顧問団の一員として来日。戊辰戦争が始まると、旧幕府軍を支援して箱館戦争を戦った。 == 経歴 == 来日前にクリミア戦争のセバストポリの攻囲戦(1854~1855年)等で戦っている〔大鳥圭介『南柯紀行』〕。 1867年(慶応3年)5月、幕府陸軍の近代化を支援するため派遣されたフランス軍事顧問団より後、馬の輸送のためジュール・ブリュネらの本隊より遅れて来日した〔。1868年(明治元年)8月、軍籍を離脱したブリュネとともに、榎本武揚率いる旧幕府軍に合流、仙台で大鳥圭介と再会〔後、箱館戦争に参戦〔国立公文書館蔵『函館賊徒ニ与力候仏人ブリユウネ等罰方ノ儀伺国公使ヘ移文始末』カツノフ アラビヤ馬附〕〔澤護(敬愛大学)1987年『箱館戦争に荷担した10人のフランス人(人文科学編) Dix Francais a la Republique ephemere de Hakodate(The Humanities)』2006年『S.カズヌーブに関する若干の資料 Des Documents sur S.Azaneuve』澤はSimon、国立公文書館ではAndreとしているが複数の洗礼名を持っていた可能性が高く、どちらも正しいと推定される。〕。 蝦夷地上陸後は、松前・江差攻略に参加し、その後、松前守備隊の軍事顧問に任じられた。1869年(明治2年)4月、松前での戦闘で脚踵を負傷〔国立国会図書館蔵『国際法より観たる幕末外交物語』〕、5月1日に軍艦コエトロンでブリュネらとともに戦線離脱し、横浜に戻るが駐日公使・マキシミリアン・ウートレーによりサイゴンへ追放される。大鳥圭介は、「学術は浅かったけれども篤実朴直の性質で、戦地では鋭敏で臨機の策に長じ頗る勇猛で兵隊に先ちて進軍すると云ふ勢ひで、松前進軍の時も屡々勲功があった」と評している〔。 その後、1871年(明治4年)末までには再度来日〔国立公文書館蔵・明治4年12月7日『仏国政府ヨリ旧幕府ヘ寄贈ノアラヒヤノ馬ニ付同公使ノ好意ニ答フ』、来日したフランス有名の牧師カズノブとある。〕し、1873年(明治6年)3月にナポレオン3世が幕府に贈呈したアラビア馬の活用を明治政府に進言している。元々このアラビア馬は軍馬の品種改良を意図して送られたものであり、幕府はその価値をよく理解し、カズヌーヴを飼育調教の指導係とし、小金牧の将軍の乗馬を育成する区画に厩舎を建て、飼育する予定であったが、戊辰戦争で計画が頓挫、明治政府の首脳にはこの意図を理解できる者がおらず、ほとんどが私物化されていた〔国立公文書館蔵『仏国政府ヨリ旧幕府ヘ寄贈ノアラヒヤノ馬ニ付同公使ノ好意ニ答フ』大名から城や領地を取り上げた明治政府が、馬の持ち主に提出を命じるのは「甚だ理不尽」と異例の配慮を示している。〕。 カズヌーヴはこの時点で26頭のうち9頭の所在を確認しており、残りについても捜索を続けていた〔〔馬についてはナポレオン三世の馬参照。〕。 同年4月に明治政府に出仕〔国立公文書館蔵『仏人馬術教師カズヌーフ条約書』(フランス語原文・和文)〕し、翌1874年(明治7年)、6月末から90日程度で東北各県等をまわる予定〔国立公文書館蔵『官員並御雇教師牧馬蓄産為取調宮城県外七県』、同行は陸軍大尉鼓(鼓の支が皮)包武、11~14等出仕の福地鷹次、同柳篤信、海津武次郎〕だったが、帰路、病に倒れた〔国立公文書館蔵『仙台坂軍医へ調馬教師病気に付云々電報』〕。10月23日から治療を受け、11月19日には、フランス人ハイブル、医師マツセイ〔澤護論文ではハブルとママセイとする資料が示され、ファーブルとマッセが正しいと推定されている。〕も到着したが、11月21日午後12時20分か22分、志半ばで福島県の浪江町で逝去した〔国立公文書館蔵『11月21日病院院長高田友輔陸軍省軍馬教師カズヌーブ氏死亡御届』『教師カズヌーフ病死』〕。 明治政府に雇われた時のカズヌーヴの地位、リウーテナン〔国立公文書館蔵『雇仏人条約期限の義』〕もしくはリュトナン〔澤護論文資料〕は、フランス陸軍では中尉を指し〔澤護はフランス語に堪能なためか、特に触れていない。〕、陸軍省では中尉待遇であった。カズヌーヴの遺体は友人の「ハラフル氏」が引き受けた〔国立公文書館アジア歴史資料センター『外務へ御傭教師カスヌーフ氏奥地にて死去に付死体云々』解読未了部分〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンドレ・カズヌーヴ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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