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アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ(André Pieyre de Mandiargues, 1909年3月14日 - 1991年12月13日)は、フランスの作家。 ==生涯== マンディアルグはパリに生まれ、父親のカルヴァン主義、ラングドック、セヴェンヌ地方の伝統、ならびに母親のノルマンディー地方の伝統の中で育った。文学の勉強を始める前は考古学、とくにエトルリア文明に夢中だった。ヨーロッパ各地や地中海地方を旅していたが、第二次世界大戦が始まると、1943年にモナコに逃れ、そこで最初のアンソロジーを出版した。1945年にパリに戻り、1947年にはフェラーラ人画家フィリッポ・デ・ピシス(Filippo De Pisis)の姪でやはり画家だったボナ・ティベルテッリ・デ・ピシス(Bona Tibertelli de Pisis。1926年 - 2000年)と知り合い、1950年に結婚した。 1967年に『余白の街』でゴンクール賞を受賞。この小説は1976年に『夜明けのマルジュ』として映画化されたが、その監督ワレリアン・ボロズウィックは、他にもマンディアルグの作品を多数映画化している(たとえば『満潮』はファブリス・ルキーニ主演でオムニバス映画『インモラル物語』1974年の中の1話として映画化された)。 1979年にはアカデミー・フランセーズの詩のグランプリを受賞した。 「新フランス評論」と親しく、ジャン・ポーラン(Jean Paulhan)はじめ多くの作家と文通を続けた。それらは(さらに妻ボナとのものも)カーンに近いカルヴァドス県サン=ジェルマン=ラ=ブランシュ=エルブ(Saint-Germain-la-Blanche-Herbe)のアルデンヌ修道院(Abbaye d'Ardenne)にある現代出版資料研究所(Institut mémoires de l'édition contemporaine, IMEC)に保管されている。 エロティシズムの大家で、ピエール・ルイスの10作品の序文を書き、ポーリーヌ・レアージュの『O嬢の物語』の序文執筆、それに三島由紀夫の戯曲『サド侯爵夫人』のフランス語翻訳も手掛けた。また、昔のポルノグラフィのオブジェ、玩具、写真のコレクションを所有していた。ボロズウィックの短編映画『Une collection particuliere』はそのマンディアルグのポルノグラフィのコレクションを扱ったものである。〔Cette collection a fait en 1973 l'objet d'un reportage réalisé par Walerian Borowczyk : ''Une collection particulière ''〕。 死後、遺体はパリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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