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アンナ・マリア・ヴァーサ : ミニ英和和英辞書
アンナ・マリア・ヴァーサ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アンナ・マリア・ヴァーサ : ウィキペディア日本語版
アンナ・マリア・ヴァーサ[ちょうおん]
アンナ・マリア・グスタフスドッテル・ヴァーサ・アヴ・スヴェーリエAnna Maria Gustavsdotter Vasa av Sverige, 1545年6月19日 - 1610年3月20日)は、スウェーデングスタフ・ヴァーサとその2番目の妃マルガレータ・レイヨンフーヴッドの間の三女。ドイツのプファルツ=フェルデンツ公ゲオルク・ヨハン1世と結婚した。フェルデンツ公領の摂政(在任1592年 - 1598年)を務めた。
1562年12月20日にプファルツ=フェルデンツ公家に嫁いだ。家庭生活は円満で、アンナ・マリアは夫ゲオルク・ヨハン1世の助言者となり、夫の無謀な野心を抑えようと努めた。アンナ・マリアはまた自分の兄弟とドイツ諸侯の娘との縁組を熱心に勧め、1579年には末弟のカール(後のカール9世)とプファルツ=ジンメルン家の公女アンナ・マリアを結婚させている。
1592年に未亡人になると、アンナ・マリアは夫の遺した30万フローリンもの莫大な借財を返済するために奔走することになった。また彼女は、夫が遺言で息子たちに遺産を分割すると言い残したために起きた、領土の相続をめぐる息子たちの争いをも諫めねばならなかった。彼女は摂政として1592年から1598年まで統一状態のフェルデンツ公領を治めた。その後、長男のゲオルク・グスタフがフェルデンツとラウテレッケンを相続分として確保し、下の息子たちはそれ以外の地域を与えられた。
== 子女 ==
夫のゲオルク・ヨハン1世との間に11人の子女があった。
*ゲオルク・グスタフ(1564年 - 1634年) プファルツ=フェルデンツ公
*アンナ・マルガレーテ(1565年)
*アンナ・マルガレーテ(1571年 - 1621年) 1589年、プファルツ=ジンメルン公ライヒャルトと結婚
*ウルスラ(1572年 - 1635年) 1585年、ヴュルテンベルク公ルートヴィヒと結婚
*ヨハンナ・エリーザベト(1573年 - 1601年)
*ヨハン・アウグスト(1575年 - 1611年) プファルツ=リュッツェンシュタイン公、プファルツ選帝侯フリードリヒ3世娘アンナ・エリーザベトと結婚
*ルートヴィヒ・フィリップ(1577年 - 1601年) プファルツ=グッテンベルク公
*マリー・アンナ(1579年)
*カタリーナ(1582年 - 1595年)
*ゲオルク・ヨハン2世(1586年 - 1654年) プファルツ=リュッツェンシュタイン公、プファルツ=グッテンベルク公

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンナ・マリア・ヴァーサ」の詳細全文を読む




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