翻訳と辞書
Words near each other
・ アンナ・マリア・ドルレアンス
・ アンナ・マリア・ファン・シュルマン
・ アンナ・マリア・フォン・デア・プファルツ
・ アンナ・マリア・ペレス・デ・タグレ
・ アンナ・マリア・ホースフォード
・ アンナ・マリア・ミューエ
・ アンナ・マリア・モーツァルト
・ アンナ・マリア・ヴァーサ
・ アンナ・マリーア・スフォルツァ
・ アンナ・マリーア・ディ・オルレアンス
アンナ・マリーア・ドルレアンス
・ アンナ・マリーア・ルイーザ・デ・メディチ
・ アンナ・マリー・ピアース
・ アンナ・マロワ
・ アンナ・マール
・ アンナ・ミアーズ
・ アンナ・ミッシェル・タバレス
・ アンナ・ミッシェル・ダンテス
・ アンナ・ムグラリス
・ アンナ・メアレス


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アンナ・マリーア・ドルレアンス : ミニ英和和英辞書
アンナ・マリーア・ドルレアンス[ちょうおん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アンナ・マリーア・ドルレアンス : ウィキペディア日本語版
アンナ・マリーア・ドルレアンス[ちょうおん]

アンナ・マリーア・ドルレアンス(Anna Maria d'Orléans, 1669年8月27日 - 1728年8月26日)は、サヴォイア公、のちサルデーニャ王となるヴィットーリオ・アメデーオ2世の妃。フランス語アンヌ・マリー・ドルレアン(Anne Marie d'Orléans)。
フランスルイ14世の弟であるオルレアン公フィリップ1世と、最初の妃アンリエットイングランドチャールズ1世の末娘)の次女として、サン・クルー城で生まれた。1684年4月10日、ヴェルサイユでヴィットーリオ・アメデーオと結婚した。2人の間には6子が生まれた。
*マリーア・アデライデ(1685年 - 1712年) フランス王太子ルイ妃、ルイ15世の母。
*マリーア・アンナ(1687年 - 1690年)
*マリーア・ルイーザ(1688年 - 1714年) スペインフェリペ5世の最初の妃。ルイス1世フェルナンド6世の母。
*ヴィットーリオ・アメデーオ(1699年 - 1715年) ピエモンテ
*カルロ・エマヌエーレ3世(1701年 - 1773年) サヴォイア公、サルデーニャ王
*エマヌエーレ・フィリベルト(1705年、夭折)
アンナ・マリーアは、夫に先立ってトリノで1728年に亡くなった。 
==ジャコバイトの継承問題==
アンナ・マリーアの死後約80年を経た1807年枢機卿ヘンリー・ベネディクト・ステュアートが死んだ。この人物はアンナ・マリーアの叔父ジェームズ2世の男系最後の子孫だった。ジャコバイトたちは、チャールズ1世の子孫で最も年長の者を、イングランドスコットランドの正当な王位継承者とすることにした。当時この条件に最も当てはまったのは、アンナ・マリーアとヴィットーリオ・アメデーオ2世の曾孫、サルデーニャ王カルロ・エマヌエーレ4世だった。以後、アンナ・マリーアの子孫がジャコバイトの認める王位継承者となった。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンナ・マリーア・ドルレアンス」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.