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アンネ・クレマー : ウィキペディア日本語版
アンネ・クレマー[ちょうおん]

アンネ・クレマーAnne Kremer, 1975年10月17日 - )は、ルクセンブルクルクセンブルク市出身の女子プロテニス選手。WTAツアーでシングルス2勝を挙げた。シングルス自己最高ランキングは18位。身長165cm、体重55kg、右利き。ベースライン・プレーヤーで、両手打ちのバックハンド・ストロークを最大の武器にした。
== 来歴 ==
クレマーはテニス選手のほとんどいないルクセンブルクで、1991年から競技経歴を始めたが、長い間アマチュア選手であった。1996年ウィンブルドン4大大会にデビューした時は、予選3試合を勝ち上がった後、本戦1回戦で日本の杉山愛に 5-7, 4-6 で敗れた。同年のアトランタ五輪でオリンピックに初出場した時は、開会式でルクセンブルク代表選手の旗手に選ばれた。この時は女子シングルス1回戦でリンゼイ・ダベンポートに敗れる。1997年ウィンブルドン1回戦で、クレマーは当時最年少世界ランキング1位になったばかりのマルチナ・ヒンギスに 4-6, 4-6 で敗れた。学生時代はアメリカスタンフォード大学でプレーし、同大学をNCAAの女子テニス選手権団体優勝に導いたこともあったため、クレマーのプロ転向は比較的遅く、1998年9月になってからである。この時、クレマーは間もなく23歳を迎える頃であった。
1999年、プロ選手生活に専念し始めたクレマーはすべての4大大会で初戦を突破する。同年のウィンブルドン3回戦では、当時16歳の新星エレナ・ドキッチ(当時はオーストラリア国籍)とともにセンター・コートでプレーした。ドキッチはこの大会の1回戦でマルチナ・ヒンギスを 6-2, 6-0 で破って一躍有名になり、彼女の試合ぶりが大きな注目を集めていた時だったが、クレマーはドキッチに 7-6, 3-6, 4-6 の逆転で敗れた。2000年に、クレマーは1月初頭のニュージーランドオークランドの大会と11月のタイパタヤの大会で女子ツアー2勝を挙げた。この年はシドニー五輪で2度目のオリンピック出場を果たしたが、シングルス2回戦で南アフリカ代表のアマンダ・クッツァーに敗れている。
その後のクレマーは、2002年全仏オープン2004年ウィンブルドンで3回戦進出があり、アテネ五輪で3度目のオリンピックにも出場した。2007年全豪オープンでは、クレマーは予選勝者としてプレーし、本戦1回戦でオランダミハエラ・クライチェクを破ったが、2回戦でセリーナ・ウィリアムズに敗退した。
2008年のシーズンは右手首の故障に悩み、全仏オープンソラナ・チルステアルーマニア)との1回戦を途中棄権した後、長期間ツアーを離脱した。2009年3月からは再び女子ツアー下部大会でプレーしている。2011年全豪オープンで予選を勝ち上がり3年ぶりに4大大会の本戦に出場した。
クレマーは2014年2月のフェドカップを最後に公式戦出場が途絶えている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンネ・クレマー」の詳細全文を読む




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