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アンバール : ミニ英和和英辞書
アンバール[あんばー]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

アンバー : [あんばー]
 【名詞】 1. amber 2. umber, (n) amber/umber
バール : [ばーる]
 【名詞】 1. bar 2. crowbar 3. (P), (n) bar/crowbar
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アンバール : ウィキペディア日本語版
アンバール[あんばー]

アンバール(、al-Anbār)は、イラクに存在した都市ユーフラテス川の東岸に位置し、ファルージャの北西6kmの地点にアンバールの遺跡が存在する〔嶋田「アンバール」『アジア歴史事典』1巻、146-147頁〕。
== 歴史 ==
アンバールは元来「勝利のシャープール」を意味する「ペーローズ・シャープール(Pērōz Šāpūr/Pērōz Šābuhr)」「フィールーズ・サーブール(Firūz Sābār)」の名前で呼ばれ、ギリシャ・ローマ世界ではピリサボラ(Pirisabora)の名前で知られていた。町は350年頃にサーサーン朝ペルシアのシャープール2世によって建設され、アソリスタン州に区画される。363年4月、ペルシアに侵入したローマ皇帝ユリアヌスによってペーローズ・シャープールは破壊・略奪されるが〔G. W. Bowersock, ''Julian the Apostate'', (Harvard University Press, 1978), 112.〕、まもなく町は被害から復興する〔1911 Encyclopædia Britannica/Anbar 〕。
5世紀からペーローズ・シャープールはアッシリア東方教会の中心地となり、司教座聖堂が置かれた。486年から1074年までの間に就任した司教のうち14人の名前が知られており、うち3人が総主教に昇進した〔Michel Lequien, ''Oriens christianus in quatuor Patriarchatus digestus'' , Paris 1740, Vol. II, coll. 1171-1174〕。
やがて町はキリスト教徒ユダヤ人の避難先となり、657年に預言者ムハンマドの従兄弟アリーによって90,000人のてペーローズ・シャープールのユダヤ教徒が捕虜にされたと言われている〔。中世アラブ世界の史料によると、町の住民の大部分はペーローズ・シャープールから北に移動し、モースル南の都市Hdattaに移住したと伝えられる。ヒジュラ暦12年(633年/4年)、イスラームの武将ハーリド・イブン・アル=ワリードに征服されたペーローズ・シャープールはアラブ勢力の支配下に入り〔バラーズリー『諸国征服史』1(花田宇秋訳, イスラーム原典叢書, 岩波書店, 2012年4月)、430頁〕、「穀倉」を意味する「アンバール」の名前で呼ばれるようになる〔。新たな町の名前はペーローズ・シャープールにペルシア人の穀物庫が置かれていたことに由来し、蓄えられた食糧はラフム朝によって利用されていた〔バラーズリー『諸国征服史』2、74頁〕。アラブの征服後、アンバールのディフカーン(地主)はクーファ総督サアド・イブン・アビー・ワッカースに運河の開削を願い出、サアド運河、マフドード運河、シャイラー運河が開通する〔バラーズリー『諸国征服史』2、135頁〕。
752年アッバース朝の創始者サッファーフはアンバールの上流2.5kmの地点にホラーサーン出身の兵士の駐屯地となる都市を建設し、自らもこの都市に居住する〔バラーズリー『諸国征服史』2、161,442頁〕。バグダードが完成する762年まで、アンバールは首都の地位を保ち続けた。927年に起きたカルマット派のアブー・ターヒルの反乱の後アンバールは衰退に向かうが〔、アッバース朝期を通して重要な都市であり続けた〔。
今日ではアンバールは完全に放棄されて大部分が廃墟となっているが、かつての町の重要性をうかがい知ることができる〔。かつては商業が盛んな農産物の集散地として機能し、イラクとシリアを結ぶ交通の要所となっていた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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