翻訳と辞書
Words near each other
・ アンモニウム
・ アンモニウムイオン
・ アンモニウムプルプラート
・ アンモニウムミョウバン
・ アンモニウム固定
・ アンモニウム塩
・ アンモニウム態窒素
・ アンモニウム白榴石
・ アンモニウム試験法
・ アンモニオス・サッカス
アンモニオス・ヘルメイウ
・ アンモニオ白榴石
・ アンモノリシス
・ アンモビウム
・ アンモビウム属
・ アンモライト
・ アンモン
・ アンモン人
・ アンモン角
・ アンモン貝


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アンモニオス・ヘルメイウ : ウィキペディア日本語版
アンモニオス・ヘルメイウ
アンモニオス・ヘルメイウ (、440年頃 - 520年頃)は東ローマ帝国時代のギリシアの哲学者。ネオプラトニズム哲学者のアレクサンドリアのヘルメイアスアイデシアの息子。アンモニオス・ヘルメイウはアテネプロクロスの門人となり、また、生涯の大部分をアレクサンドリアで教鞭をとって過ごし、プラトンアリストテレス、その他の哲学者の著書の注釈書を著した。
==生涯==
アンモニオスの父親ヘルメイアスは彼が幼いころに死去し、彼の母アイデシアが彼とその兄弟ヘリオドロスをアレクサンドリアで育てた。彼らが成年したころに、アイデシアは息子たちをアテネに行かせ、彼らはプロクロスの下に学んだ。後に彼らはアレクサンドリアに戻り、アンモニオスはアレクサンドリアにあったネオプラトニストの学校で学頭となって、残りの人生をずっとプラトンやアリストテレスについて教えて過ごした。ダマスキオスによると、480年代後半のアレクサンドリアにおける異教徒迫害の中で、アンモニオスはキリスト教の権威に譲歩することで講義を続けられたという〔Damascius, ''Philosophos Historia'', 118B, Athanassiadi〕。ダマスキオスはアンモニオスがキリスト教を容認したことに文句を言っているが、譲歩がどのようなものであったかは述べていない。それはアンモニオスが教授・流布できる教義の制限に関わるものだと推測されている。アンモニオスは515年にも教育を続けていた、というのもこの年に行われたプラトンの『ゴルギアス』に関するアンモニオスの講義を小オリュンピオドロスが聴講しているからである〔Olympiodorus, ''in Gorgias'', 199, 8-10〕。また、彼はトラッレイスのアスクレピオスヨハネス・ピロポノス、ダマスキオス、そしてキリキアのシンプリキオスらに対しても教えた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンモニオス・ヘルメイウ」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.