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アンリエット・ド・ヌヴェール : ミニ英和和英辞書
アンリエット・ド・ヌヴェール[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アンリエット・ド・ヌヴェール : ウィキペディア日本語版
アンリエット・ド・ヌヴェール[ちょうおん]

アンリエット・ド・ヌヴェールHenriette de Nevers, 1542年10月31日ラ・シャペル・ダンジヨン - 1601年6月24日パリ)は、フランスのクレーヴ=ヌヴェール公爵家の女子相続人。ヌヴェール女公(在位:1564年 - 1565年)およびルテル女伯(在位:1564年 - 1581年)。イタリアマントヴァ公爵家の公子ルドヴィーコ(ルイ)と結婚した。アンリエット・ド・クレーヴHenriette de Clèves)とも呼ばれる。
ヌヴェール公フランソワ1世とその最初の妻でヴァンドーム公シャルルの娘であるマルグリット・ド・ブルボンの間に生まれ、フランス王アンリ2世が洗礼の代父となった。2人の妹、カトリーヌマリーはそれぞれギーズ公アンリ1世コンデ公アンリ1世の妻となった。また、フランス王アンリ4世とは従姉弟同士だった。1564年に弟のジャックが死ぬと、男子相続者のないヌヴェール公爵位およびルテル伯爵位を継承した。
1565年3月4日にブルボネー地方のムーランにおいて、マントヴァ公およびモンフェッラートフェデリーコ2世の息子で、又従兄にあたるルドヴィーコと結婚した。ルドヴィーコはパリ宮廷の一員であり、結婚に際してヌヴェール公爵位を引き継ぎ、また新たにルテル公爵位を授けられている。
アンリエットはアンジュー公フランソワの寵臣アンニバル・ド・ココーナ伯爵(Annibal de Coconas)と愛人関係になり、1574年にココーナがアンジュー公を王位に就けるための陰謀(Conjuration des Malcontents)に参加して斬首された際には、陰謀に関わっていたナバラ王妃マルグリットとともに陰謀参加者たちの首をさらし台から盗み出し、教会の墓地に埋めたと言われている。
1601年にパリのオテル・ド・ヌヴェールで死去した。
== 子女 ==
夫ルドヴィーコとの間に5人の子女をもうけた。
*カトリーヌ(1568年 - 1629年) - 1588年、ロングヴィル公アンリ1世と結婚
*アンリエット(1571年 - 1601年) - 1591年、マイエンヌ公アンリと結婚
*フレデリック(1573年 - 1574年)
*フランソワ(1576年 - 1580年)
*シャルル(カルロ)(1580年 - 1637年) - ヌヴェール公、マントヴァ公、モンフェッラート公



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アンリエット・ド・ヌヴェール」の詳細全文を読む




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