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アンリ=ジョゼフ・フネ(Henri-Joseph Fenet, 1919年6月11日 - 2002年9月14日)は、第二次世界大戦期フランスの軍人、ドイツ国(ナチス・ドイツ)の武装親衛隊フランス人義勇兵。1945年4月末のベルリン市街戦における武装親衛隊フランス人義勇兵部隊の指揮官を務め、ドイツ国最後の騎士鉄十字章受章者の1人となった。 当初は1940年5月〜6月のフランスの戦いでドイツ軍と交戦したフランス陸軍第3植民地歩兵師団 () の中尉であり、戦功十字章 (Croix de Guerre) を受章。1940年6月のフランス敗戦(休戦)後はヴィシー政権下フランス軍に所属し、1942年11月に除隊した後はヴィシー政権派民兵組織「フランス民兵団」の部隊長を務めた。 独ソ戦後期の1943年10月、ドイツ国の武装親衛隊へ志願入隊。1944年8月のガリツィアの戦いで第8フランスSS義勇突撃旅団第I大隊第3中隊長としてソビエト赤軍と交戦し、戦功によって二級鉄十字章を受章した。 第33SS所属武装擲弾兵師団「シャルルマーニュ」では第57SS所属武装擲弾兵連隊第I大隊長を務め、1945年2月下旬〜3月中旬のポメラニア戦線に従軍。3月初旬、ソビエト赤軍包囲下のケルリンから脱出する際に「シャルルマーニュ」師団最良の部隊で構成された「行進連隊第I大隊」(I Bataillon / Régiment de Marche) を指揮し、大隊を赤軍の包囲網からほぼ無傷で脱出させた功績によって1945年3月6日付で一級鉄十字章を受章。その後の3月中旬、撤退路であるバルト海沿岸部の都市ディフェノ(''Dievenow''、現ジブヌフ (Dziwnów))に陣取る赤軍部隊を突破し、大隊の生存者多数と共にドイツ北部地域への撤退に成功した。 独ソ戦の最終局面である1945年4月末、「シャルルマーニュ」師団の生存者の中で戦闘継続を希望した約300名の将兵で構成された「フランスSS突撃大隊」 の大隊長としてベルリン市街戦で奮戦し、1945年4月29日、ドイツ国最後の騎士鉄十字章受章者の1人となった。最終階級はSS義勇大尉〔Grégory Bouysse « Waffen-SS Français volume 1 : officiers » (Lulu, 2011) : "Officiers engagés en 1943-1944 : Henri FENET"〕。 == 第二次世界大戦初期〜後期 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンリ・フネ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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