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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
アンリ・リシャール(Joseph Henri Richard、1936年2月29日 - )はカナダケベック州モントリオール生まれのプロ・アイスホッケー選手である。1955年から1975年までNHLモントリオール・カナディアンズのセンターを務めた。兄は15歳年上のモーリス・リシャールである。アンリの愛称は兄の愛称「ロケット」と彼が5フィート7インチ160ポンド(73 Kg )とNHLのアイスホッケー選手としては小柄な部類であったことにちなんで、「ポケット・ロケット」である。〔http://www.legendsofhockey.net/LegendsOfHockey/jsp/LegendsMember.jsp?mem=p197903&type=Player&page=bio&list=〕 == 来歴 == アンリは、1955年10月13日にフリーエージェントでモントリオール・カナディアンズに加入した。 1960年に引退することとなった兄のモーリスもカナディアンズのスター選手であり左打ちで右ウィングを務めたが、弟のアンリは右打ちのセンターで、そのプレースタイルは兄とは全く違っていたといわれる。例えば、モーリスのほうは、50試合50スコアを上げたこともあるとおり、典型的な「点取屋」でそのプレーは「爆発的」とか「ダイナミック」と形容されることがあった。そしてこれに対するアンリは1957-1958シーズンと1962-1963シーズンに、リーグアシスト王となったようにゲームメーカー、ウィングのサポート役としての才能に秀で、小回りが利き、スピードを身上とする選手であった。自らも、「ゴーリーと1対1で対峙する場面になれば、体のサイズなんて関係ない。むしろ、有利に働くことだってあった。」といった旨の発言を残している。 また、カナディアンズのコーチ、トウ・ブレイクからは、「パックがどこにあるか常に把握している、クレバーな選手」といった評価を得ている。 1971年には、引退したジャン・ベリヴォーの跡を継いでカナディアンズのキャプテンに就任した。その背番号16は同チームの永久欠番とされた。アンリは1975年には踵の骨折等もあって現役を引退し、1979年にホッケーの殿堂入りを果した。 アンリ・リシャールは11度のスタンレー・カップ優勝の経験を持つが、この記録は2013年現在でNHL最多記録となっており、北米4大プロスポーツリーグにおいてもNBAのビル・ラッセル(ボストン・セルティックス)と並び最多タイ記録である。(これらに次ぐ記録はNHLではモントリオール・カナディアンズのジャン・ベリヴォーとイワン・クルノワイエ、MLBのヨギ・ベラ(ニューヨーク・ヤンキース)らの10回である。) == 受賞歴等 == * NHLオールスター第1チーム選抜(1958年) * NHLオールスター第2チーム選抜(1959年、1961年、1963年) * NHLオールスターゲーム出場(1956年、1957年、1958年、1959年、1960年、1961年、1963年、1965年、1967年、1974年) * ビル・マスタートン賞(1974年) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アンリ・リシャール」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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