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安 柄俊(アン・ビョンジュン、 、1990年5月22日 - )は、東京都国分寺市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ツエーゲン金沢所属。ポジションはフォワード。北朝鮮代表。 == 来歴 == 横河武蔵野FC(現:東京武蔵野シティFC)の下部組織出身。在日朝鮮人3世〔鄭大世が川崎F入り決断の”チョン・テセ2世”中央大FW安へエール ゲキサカ、2012年2月28日〕であり、東京朝鮮中高級学校高級部に在学中に韓国で行われた2007 FIFA U-17ワールドカップにU-17北朝鮮代表として参加した。 中央大学に進学。2年生の夏、関東大学選抜の韓国遠征メンバーに選ばれたが、入国ビザが朝鮮籍であるため間に合わず、遠征には帯同できなかった。大学関係者からは「朝鮮籍では将来いろいろな国に行くにも制約があるからプロを目指すならこの際、国籍を変えてはどうか」と打診があったが、引き続き北朝鮮代表としてプレーすることを決断した。 2011年3月、AFCチャレンジカップ2012最終予選に出場するA代表に初招集〔C大阪DFと中央大FWが北朝鮮代表合流へ ゲキサカ、2011年3月15日〕。予選前の3月26日、アラブ首長国連邦で行われた国際親善試合のイラク戦でA代表デビューした〔العراق vs كوريا الشمالية Iraqi Football Picture Gallery、2011年3月26日〕。同年6月にはU-22北朝鮮代表に選出され、ロンドンオリンピックアジア2次予選の2試合に出場したが、チームは敗退した〔中央大FWがロンドン五輪アジア2次予選を戦うU-22北朝鮮代表に選出 ゲキサカ、2011年6月2日〕。 2013年より、川崎フロンターレに入団〔安柄俊選手加入内定のお知らせ KAWASAKI FRONTALE ホーム、2012年5月28日〕。同年1月21日に以前から痛めていた右膝半月板の手術を行い、全治2カ月と診断された〔安柄俊選手のケガについて KAWASAKI FRONTALE ホーム、2013年1月22日〕。5月15日、ナビスコ杯予選リーグの大宮アルディージャ戦でプロデビューを果たしたが、その後再び膝を痛め戦列を離脱。7月18日、再手術を行い全治3カ月と発表された〔安柄俊選手のケガについて KAWASAKI FRONTALE ホーム、2013年7月18日〕。 2014年9月14日、J1第23節徳島ヴォルティス戦でJリーグ初得点を挙げた。 2015年7月からジェフ千葉に期限付き移籍。12月25日に期限付き移籍満了が発表され、2016年よりツエーゲン金沢に期限付き移籍で加入した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安柄俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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