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安 龍福(; あん りゅうふく、1657年? - 没年不詳)は、朝鮮国慶尚道東莱県釜山に住んでいた漁夫。水軍経験があるとされる。賎民だったとも。彼の発言はいまも竹島問題に影響を及ぼしている。 == 概要 == 1693年(元禄6年)、不法に鬱陵島へ渡り漁労していた時、この島を開発していた日本人に遭遇し日本へ連行される。安龍福はその後朝鮮へ送還されるが、当時の彼の証言が発端となり鬱陵島(当時日本では鬱陵島を竹島と呼んでいた)の領有をめぐる日朝間の外交問題に発展した(竹島一件)。三年後に再び日本へ渡り、鬱陵島と于山島は朝鮮の領土だと訴える。しかし、帰国時朝鮮政府に捕らえられ、日本への不法渡航や直訴を起こしたとして流罪となる。当時日本人の呼ぶ松島(現在の竹島)を于山島だと主張した最初の人物であるが、実際に安龍福がどこの島を于山島と主張したかは不明である。 現在の韓国では竹島(独島)の領有を日本に認めさせた英雄とされており、当時民間外交を行った漁夫として中高教科書にも取り上げられている。安龍福が漁労に出ていた鬱陵島には「安龍福将軍忠魂碑 」が、また居住していた釜山には「安龍福将軍像」が立っているが将軍ではない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「安龍福」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 An Yong-bok 」があります。 スポンサード リンク
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