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アン砦の戦い(アンとりでのたたかい、)は、アメリカ独立戦争のサラトガ方面作戦初期に起こった戦闘である。1777年7月8日に、タイコンデロガ砦から撤退中の大陸軍と、砦を落としたジョン・バーゴイン将軍が指揮する大軍のイギリス軍の前衛部隊の間で戦われた。 バーゴインはタイコンデロガ砦から大陸軍が撤退していたことに驚き、撤退行軍中の大陸軍を追撃するためにできるだけ多くの部隊を急行させた。大陸軍の主力はインデペンデンス砦を降りてハバードトンに向かう道を進み、病人、負傷者および宿営地に付き従っていた者たちを伴う小部隊はシャンプレーン湖をスケンスボロまで船で渡り、そこからは陸路エドワード砦に向かった。この集団は武装した約600名の者が入っており、アン砦で停止したところにイギリス軍の小さな前衛隊が追いついてきた。イギリス軍はあきらかに無勢であり、援軍を求める使者を送った。大陸軍は数的に優勢である間に攻撃を掛けることに決め、砦の北約4分の3マイル (1 km) 辺りでイギリス部隊陣地をほとんど包囲するところまでいった。しかしイギリス軍の援軍の到着を知らせる叫び声が上がったときに大陸軍は砦に後退した。これは策略に過ぎなかった(援軍は士官一人だった)が、イギリス部隊が捕獲される可能性を消した。その後にバーゴイン軍の大部隊が到着したことで、大陸軍はアン砦からエドワード砦まで後退させられた。 この戦闘のとき、アン砦で星と筋で構成される星条旗が初めて掲げられたという主張があったが、これは作り事だと考えられている。 == 背景 == 7月5日から6日に掛けての夜、タイコンデロガ砦を占領していた大陸軍には、ジョン・バーゴイン将軍が指揮する8,000名の軍隊が近づいたことを受けて、砦指揮官のアーサー・セントクレアから砦を放棄する命令が出された。バーゴイン軍の部隊が砦を見下ろすデファイアンス山に砲台を据えており、大陸軍の退却路が遮断される危険性があった〔Nickerson (1967), pp. 142–146〕。 タイコンデロガ砦とその周辺の防御施設を離れた大陸軍の大半はインデペンデンス砦を経てハバードトンに向かう道を進んだ。ニューハンプシャー出身の者で大半が構成されるピアス・ロング大佐の約600名は、5隻の武装ガレー船と200隻以上の小さな輸送船からなる船隊でシャンプレーン湖を渡った。これら船舶には砦から連れてこられた病人、物資および武器をできるだけ多く積み込んでいた。ロングはタイコンデロガ砦とインデペンデンス山の間に置かれた網場(あば)や舟橋がイギリス軍の追撃を遅らせられると考え、湖の航行可能な南端であるスケンスボロに向けて緩りとした速度で航行を始めた〔Nickerson (1967), p. 154〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「アン砦の戦い」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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