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エマニュエル=ジョゼフ・シエイエスまたはシェイエス、シィエス、シーエス(Emmanuel-Joseph Sieyès、1748年5月3日 - 1836年6月20日)は、フランスの革命指導者、政治家、聖職者。総裁政府の5人の総裁のひとり(ルーベルの後任)。 == 人物 == 第三身分出身。フレジュスにて徴税人の子として生まれる。ドラギニャンのセミナリオで学ぶ。父親の勧めで聖職者となり、アベ・シエイエス(Abbé Sieyès)とも呼ばれる〔フランス革命 〕。1788年オルレアン州議会の聖職階級議員となり、政治にも関与している。この年に『特権論』を発表している〔フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編著、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅲ フランス革命ー世界大戦前夜 原書房 2005年 2ページ〕。 1789年1月刊行の著書『第三身分とは何か』において「フランスにおける第三身分(平民)こそが、国民全体の代表に値する存在である」と訴え、この言葉がフランス革命の後押しとなった。1789年6月17日、国民議会を設立した。8月には貴族の特権が廃止された。シエイエスは、貴族に補償金を払うべきと提案するが、他の第三身分議員から却下された。フランス革命初期に活躍。ジャコバン派が権力を握った恐怖政治の時代には逼塞して生き延びた。「革命のモグラ」の異名を持つ。1795年に公安委員会委員になり、政界に復帰し、国民公会委員長になった。しかし、総裁政府に入るのは拒否した。その後プロイセン全権大使を務め、1799年にフランスにもどった〔フランソワ・トレモリエール、カトリーヌ・リシ編著、樺山紘一日本語版監修『ラルース 図説 世界史人物百科』Ⅲ フランス革命ー世界大戦前夜 原書房 2005年 4ページ〕。 総裁政府の末期に総裁の1人に就任。強力な政府の樹立のため、軍隊に人気のあるナポレオンに接近してブリュメール18日のクーデターを起こす。クーデター成功により臨時統領の1人に就任するが、統領政府を樹立する過程で、軍事力を有するナポレオンに主導権を奪われ、実権のない元老院議長に棚上げされた。1808年帝国伯爵位を与えられる。 王政復古により国外追放となるが、七月革命後に帰国してパリで没した。 1789年のフランス革命後の憲法制定に際して 「第二院が代議院と一致するときは、無用であり、代議院に反対するならば、それは有害である」 として、二院制を批判したとされる。ただし、シエイエスらがフランス革命期に作った一院制の議会である国民公会は暴走を起こし、政敵である少数派を次々に死刑にする恐怖政治を引き起こしている。恐怖政治はテルミドール9日のクーデターにより終結させられ、一院制の国民公会はわずか3年でなくなり、その後できた共和暦3年憲法では、恐怖政治への反省から、二院制の議会が作られている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「エマニュエル=ジョゼフ・シエイエス」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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