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アージェ&スカルペッリ : ミニ英和和英辞書
アージェ&スカルペッリ[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

アージェ&スカルペッリ ( リダイレクト:アージェ=スカルペッリ ) : ウィキペディア日本語版
アージェ=スカルペッリ[ちょうおん]

アージェ=スカルペッリAge & Scarpelli)は、イタリア脚本家、アージェことアジェノーレ・インクロッチAgenore Incrocci, 1919年生 – 2005年没)、スカルペッリことフリオ・スカルペッリFurio Scarpelli, 1919年生 – 2010年没)によるコンビの共有筆名である。
== 人物・来歴 ==
1949年、ステーノの監督デビュー作でもある『トト、家を探す』(''Totò cerca casa'', 共同監督マリオ・モニチェリ、日本未公開)にアジェノーレ・インクロッチがアージェAge)、フリオ・スカルペッリがスカルペッリScarpelli)の名でクレジットされたのが、その共同執筆の始まりである〔Agenore Incrocci, インターネット・ムービー・データベース , 2010年11月30日閲覧。〕〔Furio Scarpelli, インターネット・ムービー・データベース , 2010年11月30日閲覧。〕。アージェとスカルペッリのふたりは、同い年であった〔〔。
1959年、マリオ・モニチェリ監督の『いつもの見知らぬ男たち』で、脚本を共同執筆したモニチェリ、スーゾ・チェッキ・ダミーコとともにナストロ・ダルジェント最優秀脚本賞を受賞する〔〔。1965年、ピエトロ・ジェルミ監督の『誘惑されて棄てられて』でも、脚本を共同執筆したジェルミ、ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニとともに同賞を受賞した〔〔。
1966年、マリオ・モニチェリ監督の『ゴールデンハンター』で、第38回アカデミー賞アカデミー脚本賞に、脚本を共同執筆したモニチェリ、トニオ・ゲッラジョルジョ・サルヴョーニ、スーゾ・チェッキ・ダミーコとともにノミネートされる〔〔。1967年、ピエトロ・ジェルミ監督の『蜜がいっぱい』で、脚本を共同執筆したジェルミ、ルチアーノ・ヴィンチェンツォーニとともにナストロ・ダルジェント最優秀脚本賞を受賞する〔〔。
1975年、マリオ・モニチェリ監督の『人気小説』で、ダヴィド・ディ・ドナテッロ賞最優秀脚本賞を受賞する〔〔。1980年、エットーレ・スコラ監督の『テラス』で、脚本を共同執筆したスコラとともにカンヌ国際映画祭最優秀脚本賞を受賞、同年同作で同じくナストロ・ダルジェント最優秀脚本賞を受賞する〔〔。
1985年、ディーノ・リージが監督した『戦争の狂人』の脚本を共同で執筆したのが、最後である〔〔。以降、それぞれの名で脚本執筆を続けた〔〔。
2005年11月15日、アジェノーレ・インクロッチが、ローマで死去した〔。満86歳没。2010年4月28日、フリオ・スカルペッリが、ローマで死去した〔。満90歳没。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アージェ=スカルペッリ」の詳細全文を読む




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