翻訳と辞書
Words near each other
・ アーテー
・ アーディティヤ
・ アーディティヤ神群
・ アーディド
・ アーディラーバード
・ アーディラーバード地方
・ アーディラーバード県
・ アーディル・キトブガー
・ アーディル・シャー
・ アーディル・シャーヒー朝
アーディル・シャー朝
・ アーディル・スルタン
・ アーディル・スルターン
・ アーデナウ
・ アーデル
・ アーデルグンデ
・ アーデルグンデ (小惑星)
・ アーデルグンデ・フォン・バイエルン
・ アーデルグンデ・フォン・バイエルン (1823-1914)
・ アーデルグンデ・フォン・バイエルン (1870-1958)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

アーディル・シャー朝 : ミニ英和和英辞書
アーディル・シャー朝[あさ, ちょう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning

アーディル・シャー朝 ( リダイレクト:ビジャープル王国 ) : ウィキペディア日本語版
ビジャープル王国[びじゃーぷるおうこく]

ビジャープル王国(Bijapur Sultanate)またはアーディル・シャーヒー朝()とは、15世紀末から17世紀末までインドデカン、南インドに存在したスンニー派イスラーム王朝(1490年 - 1686年)。インド南西部に位置するビジャープルを首都とした。バフマニー朝が分裂しできたムスリム5王国の中でもっとも有力な王国であった。ビージャプル王国ビージャープル王国とも呼ばれる。
==歴史==

=== 建国 ===
ビジャープルは元々はバフマニー朝の一部であったが、太守のが1490年に独立し、ビジャープル王国を建国した〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.124〕。
1510年、ポルトガル提督アフォンソ・デ・アルブケルケに攻防の末にゴアを奪われた(ポルトガル領インド)〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.124〕。
この王国はヴィジャヤナガル王国と激しく争ったことで知られる〔小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.124〕。建国当初は名君クリシュナ・デーヴァ・ラーヤの存在もあり、ライチュール地方をヴィジャヤナガル王国に奪われるなど、苦戦した。1529年にクリシュナ・デーヴァ・ラーヤの死の間際、ビジャープル王国のがライチュール地方を奪ったが、クリシュナの弟のアチュタ・デーヴァ・ラーヤによって奪い返された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ビジャープル王国」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Adil Shahi dynasty 」があります。




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.